2023年06月07日

鳥取・島根歴史探訪ツアーその4



鳥取・島根歴史探訪ツアーその3」の続きです。「その1」はこちら、「その2」はこちらです。

今回の山陰歴史探訪ツアーも実質この日が最終日です。明日は朝から川崎の自宅へ向かってひたすら走るだけです。

それにしても、初日の鳥取のビジネスホテルから4日連続で宿泊先で温泉に入るという恩恵は旅の最高の贈り物です。旅の疲れもあり温泉でまったりしたあとは夜更かしもせずぐっすりと朝までよく寝ることができます。

この日は、国宝松江城、小泉八雲記念館、熊野大社(ここまで松江市)、須我神社(雲南市)をまわり、その後少し遠い奥出雲(島根県仁多郡奥出雲町)へ足を伸ばします。

玉造温泉から10kmほどの距離にある松江城は市街地のど真ん中にあります。松江市営松江城大手前駐車場(有料)に停めて中に入ると小学生が集団で写生に来ていました。松江市民の誇りでもあるのでしょう。

テレビなどで松江城が紹介されるときには必ず登場する「ぐるっと松江堀川めぐり(松江堀川遊覧船)」の乗り場がこの大手前駐車場の横にあります。今回は時間の関係で乗船はしません。なお駐車券を持って松江城に入館すれば駐車場の割引があります。

松江城は平山城(ひらやまじろ)ですが、周囲とはほとんど高低差がなく一見すると平城のような感じです。

江戸時代の初期、関ヶ原で功績のあった堀尾忠氏が松江藩の拠点として1611年頃に築城したのが最初です。

明治に入ってまもなく廃城令で天守以外の建築物は壊されましたが、奇跡的に天守は残り、その後保存運動などが起こって現在でもその雄志を見ることができます。

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見事な野面積みの石垣
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天守閣の中の階段は結構段差が高くしかも急角度なので、小柄な人や足腰が弱っている高齢者は結構つらそうでした。同じ国宝の松本城(長野県)も同様でした。

天守からの写真
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天守の見学のあと、松江城の城内を突っ切って駐車場の反対側に出て、その近くにある小泉八雲記念館へ向かいました。

途中の北の丸付近に城山稲荷神社(じょうざんいなりじんじゃ)があり、そこの狛犬や、耳が欠けたキツネ(お稲荷さん)の石像を、すぐ近所に住んでいた小泉八雲が好きだったという話しです。

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  ◇   ◇   ◇

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、ギリシア生まれの新聞記者でしたが、英語教師として1890年に松江に赴任し、1891年には松江の日本人女性と結婚します。その後も熊本、神戸、東京で英語教師として働き、同時に日本の伝統や文化などに興味を持ち多くの著作を残しています。1904年に書かれた「怪談」は最大のヒット作です。

1896年(明治29年)に日本人に帰化しましたが、1904年(明治37年)54歳の若さで亡くなっています。小泉八雲の八雲は、出雲の枕詞「八雲立つ」から取ったと言われています。姓の小泉は松江で結婚した女性の姓をそのまま使っています。

小泉八雲記念館
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記念館の隣には小泉八雲旧居があり、有料で公開されています。そこも見てきました。

小泉八雲旧居
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松江城のお堀をグルッと回り、再び大手前駐車場まで戻ってきますが、その駐車場の前に大きなお土産屋さん「島根県物産観光館」があります。ここには島根県のお土産が集められているので、まとめ買いをするのに適しています。私も旅館でもらった電子クーポン「しまねっこペイ」が2000円×3泊=6000円分ありましたので、それを使って買い物をしました。

島根県物産観光館
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お土産
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  ◇   ◇   ◇

午前中にまわった松江城と小泉八雲記念館のあと、熊野大社へ向かいますがその前にランチで地元の人に人気の「ラーメン長さん」へ寄ります。まだお昼前でしたが、店の中はほぼ埋まっていて人気がうかがえます。注文したのはチャーシュー麺(塩)1,000円です。

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幻の塩ラーメン!ってことですが、幻でも何でもなくそれがメインのお店ですが、スープはアッサリしていながらもコクがあり、これなら飽きずに何度も来て食べたくなりそうです。

  ◇   ◇   ◇

出雲國一之宮 熊野大社は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別名の伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)を祭神とする出雲国風土記の4大大神のひとつです。

紀伊の熊野本宮大社など熊野三社との関係は諸説あるのでハッキリしませんが、この熊野大社の社伝では「熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元である」(Wikipedia)とのことです。

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祈念木がありましたので家族の健康と平和を願って1本書いて納めておきました(300円)。

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  ◇   ◇   ◇

次は須我神社へ行きますが、熊野大社から須我神社へ向かうには県道を大きくグルッと回って山の反対側へ行くルートがカーナビやGoogleマップでは案内されます。しかし地図を詳しく見ると、山の中を突っ切って直線的にショートカットして須我神社へ行けそうな道(林道八所線)があるので、その道を走ってみました。

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これが思っていたよりずっと狭くてハードな山道でした。遠く700kmも旅をしてきて、このような道を好んで走る物好きは私ぐらいでしょうww

松江市 林道八所線
https://youtu.be/MXelNgPxzpE


昼間なので良いですが、夜に走るとかなり恐怖を感じそうな(なにか出そうな)道でした。ともかく冷や汗をかきながら須我神社に到着しました。対向車がこなくて助かりました。

須我神社は、須佐之男命(スサノオノミコト)と妻の稲田比売命(くしなだひめ)、両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)の三人が主祭神で、日本初の宮(宮殿)という謂われがあります。

須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む場所を探していて、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名したと伝承が残っています。そしてそこに住まいを定めたので日本初の宮(宮殿)なのですね。

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また須佐之男命がここで日本で初めての和歌を詠んだと言うことで「和歌発祥の地」ということにもなっています。その和歌とは「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」です。この和歌から「八雲」は出雲の枕詞になっています。和歌の意味は「雲が幾重にも湧く出雲の地で、妻との新居によい場所を見つけた。 妻のために垣根を幾重にも造ろう」ってことです。

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この後はおよそ36km先にある奥出雲(仁多郡奥出雲町)の「奥出雲たたらと刀剣館」へ向かいます。

  ◇   ◇   ◇

奥出雲と言えば、古代の頃から続くたたら製鉄が有名で、どんなところか気になっていました。山深い地域で過疎が進んでいるようですが、日本人の心の故郷でもある伝統や技術は絶やさず、伝承して残してもらいたいものです。自分は都会に住みながらわがままで勝手な希望ですが。

奥出雲たたらと刀剣館」はその奥出雲のさらに山の上にありました。斬新な八岐大蛇のディスプレイに迎えられ、一通り見学してきました。ただ模型中心の展示品の撮影はすべて禁止です。最近の博物館は撮影OKのところが増えていますが、ここは昭和の時代のままのようです。

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次は、せっかく奥出雲に来たので、1974年の映画「砂の器」の中で、犯人を捜すキーとして出てきた場所として有名になった「亀嵩」(かめだけ)駅と、その近くにある松本清張氏筆の記念碑を見てきました。

亀嵩駅は、JR木次線(きすきせん)の無人駅で、駅舎の中に設置された小さなテレビモニターでは映画「砂の器」が流されていました。今でも初めて「砂の器」を映画館で見た時のインパクトは鮮明に残っています。

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『松本清張 小説「砂の器」舞台の地』 記念碑は、国道432号線沿い「道の駅 酒蔵奥出雲交流館」の近くにある湯野神社の前にありました。

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この日の予定というか今回の観光予定はこれですべて終了し、あとは夕食を食べて、温泉につかって、翌日は朝から川崎に向けて帰るのみです。

と、前日の夕食の失敗(リストアップしていたレストランが2軒続けて休業)を反省し、今回は国道9号線上でプロドライバー達に憩いの場を提供している定食屋さんの休業日と営業時間を確認した上で向かいます。定食も良いですが、気持ち的にはカツカレーが食べたくなっています。

ごはん亭 はしもと
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庶民的で、しかもハードなプロドライバーのために健康とボリュームを考えた美味しい定食などが提供されていました。こういう店が大好きです。

4日目の走行ルート(距離133km)


そして5日目の最終日は川崎の自宅へ向かって走るだけです。

走行ルートは、高速代を倹約するため、最短距離・時間の「E73米子自動車道」ではなく、無料の高速が使える鳥取市回りで設定し、その後、E29鳥取自動車道(無料)、E2A中国自動車道、E1A新名神高速道路、E1名神高速道路、E1A新名神高速道路、E1A新東名高速道路、E1東名高速道路で川崎ICまでのおよそ760kmです。

ガソリンは玉造から近い島根県安来市内の国道沿いのENEOSで満タンにしますが、これで川崎まで無給油はギリギリなので、安全を考慮して途中のSAで入れることにします。

お昼は新名神高速の宝塚北SAのフードコートにある地元のラーメン屋さん「和海」(なごみ)でチャーシュー麺(塩)をいただきました。そう言えば前日のランチも松江市内で塩チャーシュー麺でした。

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そしてこのSAにENEOSのセルフスタンドがあったのでガソリンを給油しました。高速のSAはガソリン代がやたらと高く、ハイオクでいつも入れている川崎市内のスタンド(フルサービス)よりリッターあたり30円も高額です。

その後順調に走っていましたが、愛知県で新東名に入ってまもなく、突然インパネにEPC警告灯(ワーニング)が点灯!((( ;゚Д゚))

警告灯が点くとエンジンが保護モードに入り、アクセル踏んでも加速せず、変速せずで急減速のうえ、エンジンはノッキングしたようにガクガク震えてしまい、「このまま高速道路上でエンジン停止したらヤバイ!」と思って、すぐ先に岡崎東出口が見えたので、そちらに寄せて慣性を使っていったん高速を降りました。

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エンジンを停止し、しばらくして始動するとEPC警告灯は消え、下道を少し走ってみても異常は感じなかったので、再び新東名に入って無理せずゆっくり走り、100kmほど走った先の清水PAにたどり着きました。

警告からすでに1時間以上走り、異常も異音もないので大丈夫かな?と油断してしまい、清水PAから本線へ合流する時に勢いよく加速したのがいけなくて、再びEPCワーニングが点灯、エンジンがセーフモードに入ったため加速しない状態へ。

しかし今度はインターを降りるのではなく、次のSAまで走れないかなと思い、70km/hぐらいでゆっくり走るトラックの後ろについて30kmほど走行し、沼津SAにどうにかたどり着きました。そこでエンジン停止、再始動で警告灯は消え、その後約100km先の川崎ICまでエンジンをできるだけ回さないようゆっくり走って帰ってきました。

このトラブルについては後日談を含めてまたあらためて書くことにします。

今回のツアー全体を振り返ると、ちょっと強行軍で疲れたのと、クルマにトラブルが発生したことを除き、それ以外は楽しい旅でした。

5日目の走行ルート(距離777km)


■全期間走行距離(Googlemap)
1日目 675km
2日目 192km
3日目 112km
4日目 133km
5日目 777km
■合計走行距離 1,889km(Googleマップ) 1,885km(オドメーター)

ガソリン給油合計 121.43リッター(平均@170とすると20,643円)
平均燃費 15.52km/リッター(オドメーターの距離で満タン法)

有料道路 合計22,380円
(行き)東名川崎−福知山 8,190円(深夜ETC料金)
(帰り)米子−岡崎東 7,960円 岡崎東−東名川崎 6,230円 合計14,190円
(途中、トラブルのため岡崎東で降りなければ13,040円)

鳥取・島根山陰ドライブその1」(福知山城、鳥取砂丘)
鳥取・島根山陰ドライブその2」(境港、美保神社、ベタ踏み坂、能義神社、揖夜神社、黄泉比良坂)
鳥取・島根山陰ドライブその3」(荒神谷遺跡、出雲大社、日御碕神社、佐太神社)




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2023年06月03日

鳥取・島根歴史探訪ツアーその3



鳥取・島根歴史探訪ツアーその2」の続きです。「鳥取・島根歴史探訪ツアーその1」はこちらから。

ツアー3日目は、松江市から出雲市へ行き、荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)と博物館を見てから、念願だった出雲大社(出雲市)へお参りし、すぐ近くにある島根県立古代出雲歴史博物館に寄り、日本海に面した日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)、松江市内に戻って佐太神社(さだじんじゃ)を回るスケジュールです。

朝の9時オープンに合わせてまず訪問した「荒神谷遺跡」は、1983年(昭和58年)に農道を建設する際に遺跡の調査員が田んぼのあぜ道で土器の破片を発見し、本格的な調査がおこなわれた結果、358本の銅剣が一度に出土するという奇跡的な発見があった場所です。

この銅剣の数はそれまで日本全土で発見された銅剣の数が300本余りだったことから、一箇所でそれを上回る数が発見されて俄然注目されました。さらに2年後には銅剣が発見されたすぐ近くの場所で銅鐸6個と銅矛16本が出土しました。

遺跡では発見された当時の場所と雰囲気がダミーの銅剣などで表現されています。

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遺跡のすぐそばには荒神谷博物館があり、発見に至る経緯と調査など詳しく説明されていました。この大量の埋蔵は果たして誰のためか、なんのためかという謎はわかっていません。

銅剣の製作時期は、弥生時代前期末から中期中頃の間とされていて、この発見によりそれまで出雲は単に神話の世界の地域という学説を完全にひっくり返すインパクトがあったようです。

荒神谷博物館にも寄ってきましたが、生で遺跡を見てきた後ではあまり感慨はありません。

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この荒神谷遺跡で発見された銅剣や銅鐸、銅矛はこの荒神谷博物館ではなく出雲大社横にある島根県立古代出雲歴史博物館に展示されていますので、後ほどそれを見に行きます。

  ◇   ◇   ◇

次は本日のメインディッシュの出雲大社参拝です。出雲大社に近い無料の駐車場は広大ですが参拝者が多い週末などは満車になることもあるそうです。今回は平日の午前中と言うこともあり楽々駐車できました。

出雲大社」の主祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、創建については、日本神話などにその伝承が語られているだけでハッキリした年代は不明です。もっぱら近年は縁結びの神として取り上げられますが、10月の神無月に全国の神がここ出雲に参集することから来ているようです。

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今回初めて知りましたが、テレビや写真などでよく見る一番大きなしめ縄があるのは、本殿から少し離れた向かって左横の神楽殿です。神楽殿は明治時代に新たに作られた建物で、現在は婚礼などに使われています。

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大国主大神のご神体がある本殿の手前にある拝殿にも神楽殿よりやや小さなしめ縄が飾られていますが、こちらは柱が多くてやや暗い感じです。その点神楽殿のほうは柱が少なく明るく見栄えがしますので絵として使う場合は神楽殿のしめ縄ということになるのでしょう。

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昨年行った紀伊の熊野本宮大社の鬼門札とともに、自宅に飾るため、出雲大社最強のお守りと言われる「生弓生矢」(いくゆみいくや)を授かってきました。

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「生弓生矢」は須佐之男命が大国主大神に授けたといわれている伝説の神宝(武器)で、そのおかげで出雲の国を平定できたことで破魔矢と同じく魔除けの力と、大国主命の念願がかなったことで、念願達成のご利益があると言われています。私にとって今回の旅では一番のお土産になります。

また高田崇史著「鬼棲む国、出雲 古事記異聞」でウンチクが語られていた、本殿の真後ろにある本物の大社とも言える大国主大神の祖先にあたる、素戔嗚尊/須佐之男命(スサノオノミコト)が祀られる「素鵞社(そがのやしろ)」にもお参りしてきました。

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地味なたたずまいですが、その素鵞社の軒下には大国主大神が国譲りの交渉(つまりは不良から校舎裏に呼び出されて国を譲れと脅迫されたというイメージ)をしたと言われる稲佐の浜の砂?が置かれていて、袋に詰めて持ち帰る人もいました。

また本殿の中の大国主大神のご神体は、本殿の正面ではなく西側を向いて安置されているそうで、本殿の西側に回ってお参りすることも忘れずにおこなってきました。

一通り出雲大社境内をグルッと回り、参道を歩いて「島根県立古代出雲歴史博物館」へ向かいます。

博物館へ向かう途中に、大国主大神が彼方から飛んでくる光(魂)を受け入れようとする場面を再現した大きく迫力のある「ムスビの御神像」がありました。

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  ◇   ◇   ◇

古代出雲歴史博物館には先に訪問した荒神谷遺跡で発見された銅剣などが国宝として展示されています。

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古代の出雲大社の模型ですが、このように天に届けとばかりに本殿は高いところに作られていました。その時の柱の跡(3つの円)は出雲大社の拝殿前に刻まれています。

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出雲大社と博物館をひとまわりして駐車場へ戻ってくると、ちょうどお昼の時間になり、駐車場の近くにある出雲蕎麦の老舗「八雲本店」でランチです。

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頼んだのはちょっと豪華に五色割子で1950円です。バカ (゚д゚)ウマーでした。

ランチのあと、クルマに乗って出雲大社から5分もかからない「稲佐の浜」へ。大国主神が高天原から派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)と国譲りの交渉をした場所です。入る駐車場を間違えてちょっと遠いところに出てしまいましたが、サラサラの細かい砂で綺麗な浜でした。

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  ◇   ◇   ◇

次に向かうのは「日御碕神社」(ひのみさきじんじゃ)です。稲佐の浜から切り立った海岸沿いの峠道を走ること8km、10数分で到着です。

日御碕神社の中には上下の2社があり、下の宮の主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、上の宮の主祭神は天照大御神の弟であり誓約上の配偶者でもある素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。

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天照大神が祀られる下の宮「日沈宮(ひしずみのみや)」※沈は正しくは「さんずいに冗」
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この日御碕の近くには出雲日御碕灯台があり、海岸が綺麗に見える遊歩道もありますが、ここは次を急ぐのでパスしました。

  ◇   ◇   ◇

次に訪れたのは、宍道湖の北側を50km、約1時間走り、松江市に戻り、出雲の四大大神(いずものよんだいおおかみ)のひとつ佐太神社(さだじんじゃ)です。

出雲の四大大神(いずものよんだいおおかみ)とは、『出雲国風土記』に記載された神々の中で、この四柱のみ「大神」と尊称された神々とその神々を祀る島根県に鎮座する神社のことで、「熊野大神 熊野大社(松江市八雲)」、「所造天下大神 出雲大社(出雲市)」、「佐太大神 佐太神社(松江市鹿島町)」、「野城大神 能義神社(安来市能義町)」のことです。すでに「能義神社」、「出雲大社」は参拝していますので、この佐太神社で3つめ、明日行く予定の「熊野大社」でコンプリートです。

佐太神社の主祭神は、出雲国で最も尊いとされる四大神の内の一柱で佐太大神(さだおおかみ)、別名、猿田彦大神(さるたひこおおかみ))です。創建は古く西暦717年頃と言われています。

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出雲はぜんざいの発祥と言われていますが、この佐太神社の駐車場内に小さな小屋の「佐陀乃だんだん家 」というお店があり、神在餅(お供え神在餅)をいただきました。お値段は550円です。

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出てきた元のぜんざいには砂糖は入ってなく(当初はそうだったらしい)、少し食べてみましたがほとんど何も味がしない不思議な感じでした。小豆は甘いというイメージがすり込まれていて、それは砂糖が大量に混ざっているからだということがよくわかりました。別の容器の砂糖を少し入れて食べるといつもの味になりました。

諸説ありますが、ぜんざいの語源は、旧暦10月に全国から神様がここ出雲に集まり、出雲以外は「神無月」(かんなづき)となりますが、出雲は「神在月」(かみありづき)となります。そこで振る舞われたのが神在餅(じんざいもち)で、それが変化してぜんざいと呼ばれるようになったとか。

この日の予定はすべて終わり、松江市内で夕食をとろうと、玉造温泉へ帰る途中にある事前に探しておいたレストランに行ってみると休業中というのが2軒続き、もう探すのはやめてコンビニで弁当とサラダを買って旅館へ帰りました。えぇ、食事には全くこだわりがないのです。(T_T)

3日目の走行ルート(距離112km)


鳥取・島根山陰ドライブその4」へ続く

鳥取・島根山陰ドライブその1」(福知山城、鳥取砂丘)l
鳥取・島根山陰ドライブその2」(境港、美保神社、ベタ踏み坂、能義神社、揖夜神社、黄泉比良坂)





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2023年05月31日

鳥取・島根歴史探訪ツアーその2




鳥取・島根歴史探訪ツアーその1」の続きです。

山陰ドライブツアーの2日目は、鳥取市内から西へ進み、島根県松江市に向かって走りますが、その途中に水木しげるロードで有名な境港(鳥取県境港市)と、美保神社、美保関灯台(島根県松江市)へ寄ってから、「ベタ踏み坂」と呼ばれている江島大橋を通って松江市内に入り、能義神社(島根県安来市)、揖夜神社(松江市)、黄泉比良坂(同)を回ってから宿泊先の玉造温泉(松江市)に入ります。

鳥取から境港へ向かう鳥取県内の山陰自動車道は、ほとんどの区間は片側1車線ながら、高架の高速道路(途中の未開通区間は一般国道)で、すべて無料で走れます。出入り口に料金所がないというのはアメリカのフリーウェイみたいで素敵です。正面にはまだ上の方には雪が残っている中国地方最高峰の大山(だいせん)が見えて爽快です。

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高速道路が無料の理由は違いますが、本当なら東名や名神も建設費の償却はとうに終わっていて本来は無料にすべきですが、国交省の天下り役人をたくさん養う必要性からか、いつまで経っても無料になることはありません。

途中で「道の駅大山恵みの里」へ寄ります。有料道路ではないので、サービスエリアの代わりにところどころ一般道にある道の駅がその代わりを果たしています。ここで鳥取のホテルでもらった2000円の電子クーポンを使ってお土産を購入します。

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山陰道を米子東ICで降りて、境港へ向かいます。

駐車した境港駅前駐車場は、JR境港駅前にあり、「水木しげるロード」のすぐ近くです。駅前にも多くの妖怪モニュメントや絵が飾られています。

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綺麗に整備された水木ロードは、平日と言うこともあり、観光客は少なく、やや寂れた感じもします。この辺りは住民の高齢化も都会と比べると半端なく進んでいるのでしょう。

道のあちこちに飾られている「ゲゲゲの鬼太郎」や一般的な妖怪をモチーフとしたモニュメントを撮影しながらブラブラと歩きます。

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2000年に落成入魂式がおこなわれ創建された「妖怪神社」の入り口には「目玉おやじ清めの水」があり、ここで手を洗って神社に入るようになっています。ちょっと引きそうになりますが、動画を撮ってきたのでどうぞ見てください。

清めの水動画


ランチは水木ロードにある洋食レストラン「なごみ」で食べましたが、ごく一般的な洋食しかなくちょっと残念でした。せっかくこういう場所なのでなにか妖怪や鬼太郎をモチーフとした面白いランチが食べたかったです。

お店によって、「妖怪饅頭」や「妖菓目玉おやじ」を販売する「妖怪食品研究所」など水木しげるロードを盛り上げようと気合が入っているお店と、上記の「なごみ」のように、まったく関心ないという店が混在していて、せっかく町全体で盛り上げたいと思っている仕掛け人達の苦労が感じられます。

次はいよいよ初めて島根県に入って美保神社と美保関灯台に向かいます。境港からはクルマで30分ほどの距離です。

美保神社はえびす様の総本宮で、商売繁盛の他、鳴り物の楽器の奉納などでも有名です。当日もバイオリンを持ち込んで祈願をされている方がいました。

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そう言えば、松江や出雲の神社の入り口を守る狛犬の尻尾は真っ直ぐ上に向いています。他の地域の狛犬の尻尾は?というとほとんどは斜め後ろ上方です。

尻尾が上を向いている美保神社の狛犬
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美保神社からさらに5分ほど奥へ走った先にある岬に建っているのが明治31年(1898年)に初点灯された歴史ある美保関灯台で、文化遺産として「世界の歴史的灯台100選」、そして「日本の灯台50選」にも選ばれています。

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灯台からは日本海が見渡せて綺麗です。天気が良くて空気が澄んでいれば遠くに60kmほど先にある隠岐の島が見えるそうです。当日はやや霞んでいて見えませんでした。後鳥羽上皇や後醍醐天皇、小野篁(おののたかむら)などが流された流刑の島です。

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この後再び境港へ戻り、軽自動車のCMで有名になった通称「ベタ踏み坂」のある江島大橋(鳥取県境港市と島根県松江市との県境)を通って松江市内へ向かいます。

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今回はこのベタ踏み坂を登るのではなく、反対側から下るルートでした。それでもジェットコースターで急降下するような胸がすく思いを味わえました。

と、ここで、クルマのエンジンオイル警告灯(黄色)が点灯し、油量を調べてみると、エンジン停止直後ということもあってレベルゲージにまったくオイルが付かないという危機的状況に見舞われました。しかしもっと減ると赤色の警告灯が点灯するらしいので、それまではまだしばらく動かせそうです(楽観的)。

1ヶ月ぐらい前に油量をチェックしたときには適正量だったのにあまりに急な減り方で、ちょっと気になりますが、本格的な調査は帰ってからにしたいので、とりあえずどこかでエンジンオイルを補充することを考え、松江市内にあるフォルクスワーゲンを扱っているディーラーに寄ることにしました。

その前に、予定していた能義神社(島根県安来市)へ向かいます。

能義神社は、奈良時代から野城大神(ぬきのおおかみ)を祀る古社で、「出雲国風土記」に野城社として記載された出雲四大大神(いずものよんだいおおかみ)のひとつで、御祭神は天照大神の第二の御子、天穂日命(あめのほひのみこと)です。

周囲は田園で、入り口がわかりにくい場所にありますが、鳥居をくぐると空気の密度が高くなるのを肌で感じます。普段は誰もいない静かな神社です。御朱印を集めている人は特定の日に限ってのみにということです。

能義神社の境内社として野美神社があり、野美宿祢命(のみのすくねのみこと)なども祀られています。野美宿祢命はたいそう力持ちで、大和国一の力士と競わせたところ野美宿祢が勝ち、それ以来相撲の神様となっています。

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次は能義神社から近い揖夜神社(いやじんじゃ)へ向かいます。

揖夜神社は出雲国風土記はもちろん、日本書紀にも登場する神社で、主神祭は日本の国生み神話で有名な伊弉冉命(いざなみのみこと)です。「その1」で紹介した小説で高田崇史著「鬼棲む国、出雲 古事記異聞」ではここでミステリーな殺人事件が起きます(正確に書くと揖夜神社の巫女が近くの黄泉比良坂で他殺体として発見される)。

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そしてこの揖夜神社の近くには「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という場所があり、Wikipediaによると「日本神話において、生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされる坂、または境界場所」ということです。古事記や出雲国風土記に登場する場所です。

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こちらも高田崇史著「鬼棲む国、出雲 古事記異聞」や今邑彩著「よもつひらさか」などの小説に登場する曰くありげなところです。

私が行ったときはまだ陽の高い明るい時間帯で、他の観光客がいましたが、私のような霊感がまったくない身でも、秋の夕暮れ時や、夜間にひとりでは決して近づきたくない、なにかザワザワと身の毛がよだちそうな場所でした。霊感の強い人ならきっと近づけないと思われます。

これでこの日の予定をすべて終え、電話で連絡しておいたフォルクスワーゲンのディーラーへ向かいます。そこで費用節約のためオイルだけ買って自分で補給しようと思っていましたが、作業含めてオイル缶と同じ費用で良いという申し出があり、作業もお願いしました。手が汚れず助かりました。Volkswagen山陰 松江店(Audi松江)のYさん、お手数をおかけしました。

別段オイル漏れが発生している様子はなく(補充後に何度も確認)、オイルの心配はなくなり、宿泊先の玉造温泉へ向かいます。

当初は玉造温泉は山の中にあるようなイメージを持っていましたが、そうではなく宍道湖の南側に面していて、松江市街地と出雲市の中間にありそこそここじゃれた賑やかな場所にありました。

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温泉はとっても気持ちよく、お肌がスベスベになります。泉質はナトリウム・カルシウム・硫酸塩・塩化物泉で、さすが美肌湯として人気の温泉地だけあります。

夕食はやはり自己解決なので、宿泊する旅館の近くにある居酒屋風レストラン「キッチン 花音」でうな丼をいただきました。それにしてもウナギちっちゃーいw

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この玉造温泉に3泊し、島根巡りの拠点とします。

2日目走行ルート(距離192km)


鳥取・島根歴史探訪ツアーその3」へ続く
鳥取・島根歴史探訪ツアーその1


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2023年05月27日

鳥取・島根歴史探訪ツアーその1



国内47都道府県でまだ行ったことがないのは、沖縄県、山口県、島根県の3県だけとなっていて、いずれはコンプリートしたいと思っています。今回最初は島根県と山口県の2県を旅しようと考えていました。

私の住む川崎から出雲(島根県)へ行くには、羽田から出雲縁結び空港へ飛行機で飛ぶのが一番早くて便利です。次は岡山か広島まで新幹線で行き、そこから特急で出雲市駅へ行く方法があります。山口県へ行く場合も飛行機か新幹線というのが便利です。

しかしそこはクルマ好きということと、現地に着いてからの便利さを考えてマイカーで行くことにしました。

クルマで遠くの目的地まで走るデメリットは往復の移動に時間がかかることと、体力の消耗が激しいことです。つまり往復にかかる2日間はほとんど観光に時間を費やせません。

でもすでにリタイアをしている身でもあるので、時間はたっぷりあり、混雑する休日を外し、平日の空いている道路を走り、観光地をのんびり自分のクルマで回ることができるので、それもまた楽しいでしょう。

今回クルマで行くルートや、目的地などを調べて考えましたが、島根県東部で見て回りたいところがたくさんあり、まだ足を踏み入れていない山口県(萩や津和野、秋芳洞)まで足を伸ばすのは今回の4泊5日、そのうち2日間はリエゾン(移動区間)の日程では2県をまたいで観光するのは難しいという判断をして残念ながら山口県へ行くのはまたの機会とすることにしました。

島根県東部は、以前読んだことがある、加治将一著「舞い降りた天皇」」や、高田崇史著「鬼棲む国、出雲 古事記異聞」、今邑彩著「よもつひらさか」、桐野夏生著「女神記」など多くの小説にも登場する話題性がある場所で、物語の中に出雲周辺が登場し、そうした歴史と神話が豊富な出雲の各地へ寄ってみたいと思っていました。

  

ちなみに川崎から出雲まで最短ルートで高速道路を走ると、全走行距離は780kmで、休憩時間を無視すると約10時間ほどのドライブです。

今回は最短ルートではなく、2014年に全線開通してからまだ一度も走ったことがない舞鶴若狭自動車道を走りたいと思ったので、新東名から名神、北陸道経由、舞鶴若狭道から福知山(京都府)まで高速を走り、島根県松江市に入る前に福知山城(京都府)、但馬エリア(兵庫県)、鳥取砂丘に寄っていこうと計画を立て、一泊目は鳥取市内にしました。

深夜0時に自宅を出発し、東名川崎ICから、新東名、名神、北陸、舞鶴若狭道経由で京都府の福知山ICまでは約550kmで、途中何度かの休憩を含めると概ね8時間ほどかかります。深夜から早朝に走りますので渋滞の心配はありませんが、当日の走行中はずっと強い雨が降っていて走りにくい上に速度規制が多くありました。

当初の予定では、福知山ICで降りたあと、鬼の故郷、酒呑童子が有名な大江山にある「日本の鬼の交流博物館」と「鬼嶽稲荷神社」へ寄ろうと思っていましたが、調べるとその日(月曜日)が休館日ということで、残念ですが予定を変更して戦国武将明智光秀が最初に築城し城主となった福知山城を最初の目的地にしました。

福知山ICで高速を降り、早朝から開いていたガストでゆっくり朝食を食べ、ガソリンを補給してから福知山城の駐車場に着いたのが館内営業時間の1時間前の8時です。

ガソリン補給した時にここまでの燃費を満タン法で計算したら、16.91km/Lという長距離での過去最高の燃費を記録しました。雨のため燃費は落ちたと思いましたが、速度規制で70〜80km/hで走ることが多かったのが高燃費に影響したと思われます。

お城の中へ入れるまではお城の周囲をブラブラと散歩しながら石垣や井戸、明智光秀が喋る自動販売機など、写真撮影をしていました。

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雨は朝方に止み、今回4日間の観光中はずっと曇りか晴れで恵まれていました。但し行きと帰りのリエゾン区間はずっと雨に祟られましたが。

福知山城は廃城令のため明治時代に壊されたので、現在の天守閣は、1986年(昭和61年)に鉄筋コンクリートで再建されたもので、光秀が戦国時代に建てたものではありませんが、残されていた野面積みの石垣は当時のものを使い、歴史を感じることができます。

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残されていた石垣の中には、転用石と言って元々墓石や灯籠に使われていたものが含まれています。以前行ったことがある織田信長の安土城の石垣や石段にもそうした転用石が多く使われていました。

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福知山城の中は、資料館のようなもので、あまり見る価値はありません。時間とお金を節約したいならお城の周囲をグルッと回る(公園なので無料)だけでも見どころが多くていいかもです。

  ◇   ◇   ◇

お城の見学後は、国道9号線を北上し、鳥取砂丘を目指しますが、その途中、京都府から兵庫県に入った国道沿いにある「道の駅 村岡 ファームガーデン」に寄り、有名な但馬牛のランチをいただくことにしました。

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但馬牛の焼肉定食、肉増し1680円(平日限定)
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さらに売店で揚げたての但馬牛コロッケを売っていたのでそれも2個買ってその場でモグモグしました。メチャ (゚д゚)ウマーです。

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徹夜で走り、お腹がいっぱいになったので単調な国道走行はメチャ眠たくなりますが、ここは踏ん張ってさらに北上し、初日のメーンイベント鳥取砂丘へ向かいます。

  ◇   ◇   ◇

鳥取砂丘は学生時代に来たことがありますが、その時は砂丘の入り口から「広いなぁ〜」と眺めていただけで、砂丘を横断し、駐車場(ビジターセンター)から500mほど先の海の近くにある小高く盛り上がった「馬の背」まで砂丘の中を歩いたことはありません。

ビジターセンター駐車場からいよいよ鳥取砂丘へ入るところ
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遠くに「馬の背」が見えます。あそこまで行って戻ってきます。
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駐車場からは砂丘を一度下がってから登ります。ここはその一番低いところで馬の背が壁のように立ちはだかります
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今回は毎日4〜5km程度歩いている日頃のウォーキングの成果もあるので、「馬の背」攻略は楽勝?と思っていましたが、およそ40mぐらいの高さがある急坂の馬の背を登っていくと、足下の砂地が崩れ落ちていくのでなかなか前に進まず、2歩進めば1歩後退するような感じで結構難儀しました。

馬の背の上からビジターセンター(上の白い建物)を眺める
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馬の背から日本海を眺める左側
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馬の背から日本海を眺める右側
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駐車場からゆっくり歩いて馬の背に登り、少し休んで戻ってくると1時間ぐらいはかかります。疲れ果てたわけではないでしょうけど、「馬の背」でゴロンと仰向けに寝転がっている観光客もいました。夏の暑い日には踏み出す前にタオルと飲み水を持っていくことをお勧めします。

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鳥取砂丘を堪能し、あとは二日分の睡眠をとるべくホテルへ向かいますが、その前に夕食を調達します。

今日泊まるのは鳥取のビジネスホテルですが、私がひとり旅の時に宿泊する場所を選ぶ基準は、ビジネスホテルなど安く泊まれて、温泉か大浴場があるところです。部屋に付いているユニットバスは狭苦しいので入る気がしません。もし泊まるホテルに温泉や大浴場がない場合は、近くの日帰り湯を探しておき、そこへ寄ってからホテルへ入るようにしています。

今回泊まるホテルは、鳥取駅前にあり、狭いながら天然温泉付きのビジネスホテルです。さらに嬉しいのは元々宿泊料が安いうえに、全国旅行支援の補助(宿泊料20%OFF&2千円の電子クーポン)が得られて格安で泊まれます。予約した後になって知りましたがラッキーです。

夕食はひとり旅の時はホテルや旅館の高いものは食べず、それこそ近所のラーメン屋さんかコンビニ弁当でOKというスタンスです。これは、宿泊と食事は節約し、その分観光やお土産にお金を使おうという考えからです。

16時過ぎにチェックインしてすぐに温泉で身体をほぐし、買ってきた夕食をサクッと食べたらコテンと翌朝8時まで11時間ほど一度も目を覚まさずぐっすり眠れました。

1日目走行ルート(675km)


鳥取・島根歴史探訪ツアーその2」へ続く



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2023年02月22日

初春に港のヨコ、横浜・横須賀巡り




三寒四温で日中の気温が日々上下を繰り返すことで体調が狂わされる上に、花粉が舞い始めた頃で、あまり旅行やドライブに向かないタイミングですが、関西に住む友人が所用で横浜へやってくるということで、それなら前から行きたい場所リストに載せていた横須賀へ連れ出すことにしました。

ポロGTIで昼に桜木町のホテル前に迎えに行き、特に行き先を知らせず首都高に乗って横須賀へ向かいます。

ところが、高速の入り口を間違えベイブリッジ方向へ向かってしまったので、橋を渡って大黒パーキングに寄り、そこでUターンして横須賀へ向かいました。この辺りの高速はホント錯綜していて難しいです。カーナビをもっと信用しろ!ってことですが。

横須賀に着いて、まずランチを食べるため「Coaska Bayside Stores (コースカベイサイドストアーズ)」の駐車場に入ります。

ここは有名な軍港が見える公園「ヴェルニー公園」のすぐ隣にあって、ランチ後にゆっくり散歩するのに便利です。

まずはCoaska Baysideの中にあるレストラン「よこすかグルメ艦隊」へ向かいます。

時間がある観光客ならば、横須賀どぶ板横丁をぶらつきながらランチを食べることが多いと思いますが、今回はあまり時間がないので、この店でまとめて横須賀3大グルメ、ネイビーバーガー・海軍カレー・よこすかチェリーチーキが味わえるという便利さで選びました。

私が食べたネイビーバーガーL 1,500円。いかにもアメリカンタイプでめちゃデカいです。
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一緒に頼んだ自家製ジンジャーエール(500円)も、たっぷり量におろした生姜がたっぷり入っていてえらく刺激的でした。

本当ならここの場所から出ている「YOKOSUKA軍港めぐり」ツアーを考えていましたが、タイミング悪く桟橋の工事のため2023年1月23日〜3月6日まで休業中でした。

食事後は、11年前にも来ていますが、自衛隊とアメリカ海軍の基地に係留されている艦船が間近に眺められるヴェルニー公園に行きました。いつも見える潜水艦の係留が今回は見られませんでした。

一番近くに係留されていたのは、右側が艦番号175DDGこんごう型3番艦「みょうこう」、左側は艦番号178DDGあたご型2番艦「あしがら」でいずれもイージス艦です。

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その他にも、奥の方に最新鋭の多機能護衛艦「くまの」などもチラッと見えていました。

アメリカ海軍の係留地には第7艦隊所属のミサイル駆逐艦「ハワード」 (USS Howard, DDG-83) が係留されていました。

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ヴェルニー公園には旧海軍の戦艦陸奥の主砲が飾られています。この主砲は41センチ砲で長さ約18.8メートル、重さ約102トンあります。旧日本帝国海軍の大艦巨砲主義の象徴です。

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さて、ヴェルニー公園を後にして、次に向かうのは、公園からクルマで20分ほど走った横須賀市浦賀にあり、前から「行きたい場所リスト」に入れていた叶(かのう)神社です。

幕末に江戸幕府海軍操練所教授方頭取である勝海舟が、太平洋を渡る咸臨丸が浦賀で修理をしている間にこの叶神社で修行したことで知られています。「望みや願いが叶う」と語呂がよいこともあり、人気スポットです。

叶神社は西と東、ふたつあり、その間には浦賀港が広がっていて、行き来をするには「浦賀の渡し」の船に乗らなくてはなりません。

浦賀の渡し船
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船代は片道400円ですが、往復する場合は1dayチケットを買うと600円なのでこれを買います。

そして西叶神社で授かった(買った)勾玉(まがたま)を、東叶神社で授かった(買った)お守り袋に入れて完成するお守りが人気です。

西叶神社
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東叶神社
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勾玉とお守り袋(色は数種類から選べます)
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渡し船含め、なかなか、観光客向けにうまい商売?です。

東叶神社で今年初のおみくじを引いてみました。

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大吉 (^ ^)v

お参りを終えて、横浜へ戻ります。

中華街近くの駐車場に車を置いて、中華街のメイン通りを歩きます。コロナ禍も収まりつつありますが、土曜日の夜ということもあり真っ直ぐには歩けないほどかなり混んでいます。

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その中華街の中の香港飲茶専門店「西遊記」に友人と入り、コースで一番安い飲茶コース2,180円に、エビワンタンスープ、広東式麻婆豆腐、広東焼き餃子、マンゴーと牛肉炒めを頼みました。この店の名物、叉焼メロンパンは、コースに付いていました。めちゃ (゚д゚)ウマーです。

お腹もいっぱいになり、友人をホテルまで送り届けて首都高〜第三京浜で帰ってきました。土曜日とは言え渋滞していた場所は少なく、走った距離は約150km、燃費は15Km/L近くまでいってました。

幕山公園(湯河原梅林)と小田原城
街の灯りがとても綺麗ねヨコハマ
横浜海の公園と横須賀ヴェルニー公園


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