ブラブラと近所を歩き回るウォーキングも2016年夏から始めて8年が過ぎ今年の夏には9年になります。
もうすっかり毎日の習慣となっているので、たいへんとか面倒とは思わなくなりましたが、毎日コースは変えていますが歩く道や景色を何度も見ていると少し飽きてきたというのも事実です。
今後は電車やバス、バイクを使って少し遠出して歩くことも考えていますが、つい面倒に思えて近所ばかりを歩いています。もう少し行動範囲が広がれば旧車や名車をもっと探せそうです。
ただ歩くだけではなく、ウォーキングの途中で、公園などの中でストレッチを毎日必ず取り入れています。
足のふくらはぎアキレス腱を伸ばし、足首、膝、股関節の関節をよく動かし、スクワットで足腰を鍛え、前後屈、肩、首、腕をグルグル回し、最後に背伸びして深呼吸と全部で15分ほどやっています。夏はそれだけで汗びっしょりになります。
そのストレッチをする場所を決めていますが、もし知らない場所へ行ってウォーキングするようになると、そのストレッチをする場所(あまり人目に付かず運動ができる場所)を探さないとならず、それもまた面倒に思っています。
そんな日々のウォーキングで見つけた「旧車・名車シリーズ」です。
スバル レガシィツーリングワゴン 3代目 BH型
私も昔乗っていたBH型レガシィツーリングワゴン(1998年〜2003年販売)も、すべての車種が登録から20年を超えて街で見かけることが減ってきました。
レガシィシリーズとしては最後の5ナンバー小型車に収まっていたモデルで、4輪駆動&高性能ワゴンはスバルが一番という位置をすっかり定着させたモデルです。
燃費が悪いとか、細かな不具合が多いとか、欠点はありましたが、それを上回るほどの魅力があったことは間違いありません。
◇旧車パンフレットシリーズ77(スバル BH型 3代目 レガシィツーリングワゴン)
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プジョー 206CC
フランスの大衆車、プジョー・206は205の後継モデルとして1998年から2012年まで販売されていました。
ボディ形状は3ドアと5ドアのハッチバック、2ドアオープンカー、ワゴン、セダンなどと多彩で、欧州では3ドアと5ドアは同じBセグメントのフォルクスワーゲンポロとガチのライバル関係になります。
数あるグレードの中でも電動開閉式メタルルーフ(ハードトップ)のコンパーチブルモデルが206CCで、2001年から追加されました。CCとはクーペカブリオレの略です。20年以上経った今見てもスタイルが斬新で素晴らしいです。
エンジンは標準の1.6Lと、2002年に追加された2.0Lのスポーツモデルで、日本では5ナンバーサイズの小型車になりますが、当時フランス車を専門に売る販売店がほとんどなく、日本では普及していません。
小さなボディのコンバーチブルモデルながら定員は4名で、通常なら定員は2名の一般的なオープンモデルより使い勝手が良さそうです。但し後席はかなり狭く、トランク代わりかペット用という感じです。
ベース車の206クーペモデルはWRCにも参加し、2000年〜2002年のマニファクチャラーズタイトルを得るなど活躍しました。
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プジョー 106


プジョーのベーシックカーという位置づけで、1991年〜2003年に販売されていました。
ボディは3ドアと5ドアのハッチバックで、エンジンは1000ccから1500ccディーゼル、1996年からは1600ccのホットモデルが追加されます。日本向けには主として1600ccモデル(S16)が輸入されていたようで、写真のモデルもS16です。
日本向けには通常英国向けの右ハンドル車が輸入されるケースがほとんどですが、右ハンドル車には構造上エアコンが設置できないことから左ハンドルのままで販売されていました。
◇ ◇ ◇
日産 セドリック Y31型系 7代目 ハードトップ
1960年に初代が発売されたセドリックの7代目ハードトップ(1987年〜1991年販売)で、バブル景気に後押しされてこうした高級ハードトップモデルながら25万台を販売しました。
前代モデルから若々しくスタイリングを大きく変え、V6ツインカムエンジンにターボを付け、グランツーリスモというグレードを新たに設定したモデルが人気でした。
高級車で大きく見えますが、当時の日本では標準の5ナンバー枠に収まる寸法でした(2リッターモデル)。
このセドリックという名称は10代目まで続きますが、2004年を最後に終わります。良きライバルだったトヨタクラウンがその後もずっと継続して販売されていることから明暗がハッキリしました。後継車は兄弟車だったグロリアと統合されフーガという車名になります。
◇ ◇ ◇
三菱 ジープ
アメリカのウイリスジープのノックダウン生産として1953年に製造が始まり、1956年からは三菱製として2001年まで販売されました。当初は林野庁や警察予備隊(後の自衛隊)など、特殊用途が多く販売先も公的機関が主でした。
そう言えば以前見た1958年の映画「張り込み」(野村芳太朗監督)では佐賀県警の警察車両として5ドア車のジープが登場していました。
1982年にはこのジープをベースとし、エアコンなどを装備した自家用車に近いパジェロが派生車種として生まれます。
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日産 11代目 スカイライン 350GT
V35型11代目スカイラインは2001年から2007年まで販売されていました。写真の2ドアクーペは、マイナーチェンジの2003年から販売が始まりました。
エンジンはそれまでの直列6気筒エンジンからV型6気筒直噴エンジンへと変わりました。
日産のスポーティカーフェアレディZが2シーター専用となり、従来の2by2の役割をこのスカイラインクーペが担うこととなります。但しデザインは北米向けのものとなり、国内での評判はイマイチでした。
◇ ◇ ◇
ホンダ 3代目 インテグラ
マイケル・J・フォックスの「カッコインテグラ」は2代目インテグラのCMですが、こちらは3代目で、後期モデルのCMにはブラッド・ピットが出演していました。また明仁上皇(前の天皇)が皇居で乗り回していたのはやはり2代目インテグラです。
1993年から販売された3代目インテグラの最大の特徴は丸目4灯、そのうち2灯はめちゃ明るいプロジェクター式でしたが、これが保守的な一般的日本人には不評で、2年後の1995年のマイナーチェンジではほとんどのグレードで普通の横長ヘッドライトに変更(SiR-IIグレードのみ4灯タイプが残る)されてしまいます。
この写真のボディカラーはちょっと珍しいので「再塗装した?」と思いがちですが、これも立派なパラダイスグリーンパールというボディカラーで純正色です。30年前のクルマにしてはボディの塗装が綺麗でした。
◇旧車パンフレットシリーズ73(ホンダ DC/DB型 3代目 インテグラ)
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日産 180SX

今回は日産車が3台目です。日産車は耐久性能が優秀なのでしょうか?知らんけど。
180SXは1988年に登場した3代目S13シルビアの兄弟車として1年遅れて登場したスタイリッシュな3ドアハッチバックのクーペです。1989年から1999年まで販売されていました。
5ナンバー小型車で、エンジンや骨格はシルビア/ガゼールがクーペモデルに対しハッチバックモデルの違いはありますが共通です。先代のシルビア/ガゼールにはハッチバックモデルがありましたが、S13型からはなくなった影響で、この180SXが新たな車名で追加されました。
後継は再びシルビアに統合されてこの車名は1代限りとなります。
この180SXのボディのフロント部分を兄弟車のS13型シルビアのものに換装した通称「シルエイティ」というものが「頭文字D」に登場したことで大きな話題となりました。
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トヨタ AE86型 4代目 スプリンター トレノ 3ドア

1983年から1987年に販売されたAE86通称ハチロクの高性能モデルは、兄弟車のカローラレビンとスプリンタートレノの2種類がありました。
販売されていた当時はカローラレビンのほうがが圧倒的に多く(約2倍)売れていましたが、現在はリトラクタブルヘッドライトのスプリンタートレノが「頭文字D」の主人公が駆るクルマとして人気です。
軽量コンパクトなうえFRということで、取り扱いやすい大きさ、容易にドリフト走行が可能、壊れても補修部品が安く手に入るなど、当時の若く貧乏な走り屋達の練習用としては最適なクルマでした。
現在残っているレビン、トレノの多くは爆音や度を超す車高短など改造車が多くてみちゃいられませんが、そうした改造も容易にできた時代のクルマは、今のどこも勝手にはいじれないクルマにはない面白さがあります。
◇旧車パンフレットシリーズ10(4代目AE85/86型スプリンタートレノ)
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トヨタ 初代 MR2


1984年から1989年に販売されていた初代MR2は、リトラクタブルヘッドライト、2シータ-ミドシップエンジン車として当時人気沸騰中のスーパーカーブームにのっかって登場してきました。
前輪駆動のカローラの前後をひっくり返しただけという心ない?批評もありましたが、当時マニアックな技術やスポーツカーは日産が優位と見ていたクルマ好きの若者の目をトヨタにも向けさせるきっかけとなったクルマでもあります。
エンジンは1500ccと1600ccのNA、およびスーパーチャージャーを装備した1600ccが1986年に追加されました。
MR2は2代目で終了し、その後継はオープンミドシップ2シータ-のMR-S(1999年〜2007年)となりましたが、1代で生産終了、その後トヨタではこの2シータ-ミドシップモデルはレクサスの超高級車以外に作られることはありません。
もう少し頑張って続けていれば、マツダのロードスターとともに、日本の小型オープン2シータ-としての伝統を残せただろうにと思うのは私だけでしょうか。
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ダイハツ ミゼット


1957年から1972年まで販売されていたダイハツの軽自動車規格の3輪トラックで、当時は商売人などにバカ売れしたクルマです。
なぜ4輪ではなく3輪?と現代人は思うでしょうけど、当時は3輪と4輪とでは製造コストが大きく違い、そのため少しでも安く商売道具の軽トラを買いたい人(主に商店主)にとって好評でした。
昭和31年頃を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でも主人公役の集団就職で東京にやってきた少女を上野駅に迎えに来たのが「スズキオート」と店名の入ったこのミゼットでした。
このミゼットが飾られているのは以前は初代の「ホンダライフ」が置いてあった昭和のイメージで売っている飲み屋街「登戸ゴールデン街ビル」です。
◇過去の旧車シリーズ
ブラオヤジ10(含む旧車・名車シリーズ)
ブラオヤジ9(含む旧車シリーズ)
ブラオヤジ8(久々)+名車列伝
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