2024年10月19日

ブラオヤジ9(含む旧車シリーズ)




ブラオヤジシリーズは久しぶりで、前回「ブラオヤジ8」が2019年8月でしたので、なんと5年ぶりです。

日々のウォーキングはこの5年間も律儀に続けていて、1ヶ月間で1日平均歩数が6千歩を超えるように歩いています。

6月に2週間で北海道一周ドライブをした時も、ずっと運転ばかりで歩かないからどうかな?と思っていましたが、函館や釧路湿原、網走監獄、美瑛、襟裳岬で歩き回り、6月の1日平均歩数は6,200歩と達成することができました。

しかしその長距離ドライブの影響か、7月になってから右足の踵付近のアキレス腱が猛烈に痛みだし、1週間ほどほとんど歩くことができず、長年続けてきた1日平均6千歩を割ってしまいました。その後回復し、8月以降は再び順調に歩いています。

2017年2月から7年半、92ヶ月、歩数計で測った歩数はすでに1740万歩を超え、1歩あたり70cmで換算すると延べ12,000キロに達しています。

その距離は東京からアフリカのモロッコや中米のメキシコを超え、中米のキューバのハバナあたりまでの直線距離を歩いたことになります。あともう少し頑張ればブラジルやチリまで到達し地球を半周したことになります。

今回はそのウォーキング中に見つけた旧車や名車のシリーズです。

三菱 2代目 パジェロミニ

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2代目パジェロミニ1998年から2013年まで販売されたオフロード四輪駆動車パジェロシリーズの最小モデルです。

パジェロは元々三菱が戦後にアメリカウイルス社と提携してライセンス生産していた軍用ジープにレジャー要素を加え1982年から販売していましたが、その悪路走破性能や故障しない頑丈な作りなどで大ヒットしました。

そのパジェロの遺伝子を軽自動車にアレンジしたのがパジェロミニで、1994年に初代モデルが、4年後の1998年には2代目が登場します。駆動方式はFRと4輪駆動の2種類がありました。

写真のパジェロミニは2代目のノンターボモデルで最近の軽自動車ではなくなった4気筒エンジンを搭載し、ボディも強固で安全性能も高いと評判でした。

一時期はこの軽オフロード4駆の先駆者スズキ ジムニーと張り合っていましたが、スズキのような信念を貫き通せるワンマンオーナー会社ではなく、旧態依然の役所的な三菱自動車では、独自で新規開発に予算が回せないのと儲けが少ないので廃止という憂き目に遭い、2013年で後継車は販売されませんでした。

 ◇  ◇  ◇

三菱 2代目後期 パジェロミニ(or 日産キックス)

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上記のNAパジェロに対し、縦型のフロントグリルの形状からモデル後期の2009年〜2012年頃に販売されていたターボモデルと思われます。

ただし、まったく同じ形状で2008年頃から日産向けにOEM生産をしていて、日産キックス(初代)として販売されていたので、もしかすると日産キックスかも知れません。フロントグリルにマークがないので不明です。

 ◇  ◇  ◇

ダイハツ ミラジーノ

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ダイハツの主力車種ミラから派生したクラシカルな雰囲気で1999年に登場したのがこの初代ミラジーノです。後継の2代目が登場する2004年まで販売されました。

高級車を20年間乗り継ぐのはそれほど難しくはありませんが、低コストで作られている軽自動車を20年近く維持するというのは思いのほかたいへんです。上のパジェロミニも含めオーナーの方に敬意を称します。

実用的で堅実なスタイルの軽乗用車ミラに対し、女性向けにおしゃれに変身させました!という感じでしょうか。

しかし私はどう見ても1960年代に大ヒットした英国のモーリスミニ(1959年〜)に見えて仕方ありません。おそらく設計者にもその意図はあったのでしょう。

左:モーリスミニ 右:ミラジーノ
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どうです、40年の時を超えて遠目には見分けが付かないでしょ?ここまでやるか?って気もします。

そう言えばダイハツの「ムーヴキャンパス」も、VWの「ワーゲンバス(フォルクスワーゲン・タイプ2 1950年〜)」に似たイメージで売っていましたが、そうした歴史的にメジャーになったスタイルに影響されやすいメーカーなのでしょう。

よく新しい中国車を「○○社の車とそっくり」「デザインをパクった!」と批判する人がいますが、ポルシェ944にそっくりなマツダの2代目FC系RX-7や、日産でノックダウン生産していたVWサンタナ(1981年〜)によく似たB12系サニー(1985年〜)など、日本車でも過去にそういうことはよくありました。

良いモノを作るためにはまず良いモノの模倣から始めるのが常套手段です。日本人も車に限らず歴史的には西欧や米の良きモノを真似してここまでやってきたので、あまりガヤガヤ言わない方が良さそうです。

 ◇  ◇  ◇

三菱 コルトRALLIART Version-R

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2003年から販売されていた小型ハッチバックのコルトですが、2006年に追加された過激なスポーツモデルです。2012年まで販売されていましたが、そのあとの後継モデルはありません。

エンジンは4気筒1500ccMIVEC-ターボで163馬力(MT)を発生し、オーバーフェンダー、スポット溶接、スポーツマフラー装着や、オプションでレカロシートが選べるなど、ホットハッチと呼べるクルマでした。

国際ラリーにも出てくるか?と思いましたが、三菱には当時競技用としてはより高性能で4駆のランエボ(IX)があり、その陰に隠れてしまった存在でした。

乗ったことはありませんが、そのホイールベースの短さなどから、ホンダのシティターボII(ブルドッグ)のようなじゃじゃ馬の乗り味ではなかったのかなと思います。

 ◇  ◇  ◇

日産 ラシーン

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ラシーンは1994年から2000年まで販売されていたクロスオーバーSUV車で、今から思えばSUVブームの幕開け前にその最先端を走っていたことになります。

CMキャラクターには未来感を出すためか「ドラえもん」を起用し、「新・ぼくたちのどこでもドア」というキャッチフレーズが耳に残っています。

スタイリング以外は特に目立った特徴はなく、エンジンは1.5L、1.8L、2.0Lの3種類で全部がビスカスカップリングのフルタイム4輪駆動、人気大衆車のサニーやパルサーのプラットフォームを利用したものですが、7年間で7万台以上が売れるというヒット作品でした。

個人的にはあまり角角したデザインが好きではないので、購入候補からはアウトオブ眼中でしたが、なんちゃってクロスオーバーSUVというのではなく、全モデル四輪駆動と、スバルレガシィ並みに思い切った戦略は素晴らしいと思いました。

 ◇  ◇  ◇

スバル インプレッサWRX

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2000年にFMCして2代目に移行したインプレッサWRXの前期の丸目モデルです。このモデルは2002年のMC後にはヘッドライトが涙目形状へと大きく変わり、希少価値の高い高性能車、STI社製コンプリートカー「S202 STi Version」「S203」「S204」などが相次ぎ追加されいくことになります。

ややこの頃のスバルのモデル構成がややこしく、高性能モデルには通常のSTIというグレードがあり、それとは別にSTIコンプリートカーとして新たに設定を加えたりしたことで、勢い先に買ってしまったユーザーは悔しい思いをしたことでしょう。

この頃のスバルのデザインや車種の構成が頻繁に変わっていくという混乱がありました。また同時にインプレッサはオプション品や社外パーツの後付けで様々な改造がおこないやすいモデルでもあり、ぱっと見ではグレードがよくわかりません。見る人が見ればわかるのでしょうけど、私は詳しくないのでよくわかりません。

高性能モデルの変遷は、
2000年「WRX STi」
2001年「WRX STi type RA specC」
2002年「S202 STi Version」
2005年「S203」
2006年「S204」、「WRX STI spec C type RA-R」

好きな人は毎年のように買い換えていたのでしょうかね?

 ◇  ◇  ◇

マツダ RX-7(FC型)

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1985年に初代からFMCし、2代目として登場したのがこのFC型RX-7です。3代目に代わる1991年まで販売されていました。

このFC型RX-7が登場したときは、その3年前に登場していたポルシェ944(1982年〜1991年)とスタイリングが酷似していて、ポルシェと比べると価格が安いため一部からはプアマンズポルシェと揶揄されました。

左:RX-7 右:ポルシェ944
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特徴は、やはり市販量販車としては世界唯一のロータリーエンジン搭載で、日本の小型車の枠内で、しかも高性能がウリで若者の人気を得ていました。

またこのモデルにはカプリオレ(オープン)モデルが追加され、その後のヒット作マツダ(ユーノス)ロードスター(1989年〜)の先駆け的な存在でした。

私も購入候補に入れていた憧れたクルマですが、買うとなると同種のクルマと比べると割高だったということと、マツダディーラーの売り方が「料金表の価格で買わない客は客じゃない」みたいな傲慢で強気の姿勢で、購入交渉すら受け付けてもらえず縁がありませんでした。

それでもくじけず何度か行ってパンフレットと価格表だけはもらってきていました。

旧車パンフレットシリーズ14(サバンナRX-7 FC3S・FC3C型)

 ◇  ◇  ◇

トヨタ 7代目 セリカ

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1999年にFMCし7代目(T230型)になったセリカで、このモデルを最後にセリカの名前が消えることになります。

写真のセリカはフルエアロや全塗装など大幅な改造が施されている感じです。駐車場の奥に停められていたので近くでは見られませんでした。

実用性はともかく、美しいスタイルですが、前輪駆動モデルだけとなり、伝統的なスポーツモデルの4輪駆動GT-Fourモデルの設定はなくなりました。

モデルチェンジするたびに大きくなってきたボディサイズやエンジンをこのモデルではダウンサイジングし、エンジンは1800ccモデルだけとなります。

過去には数年で10万台を軽く超える販売台数だったセリカも、このモデルでは7年間で2万7千台とふるわず、その後も見込めないと判断され2006年で販売が終了しました。

5年間で15万台を販売した3代目セリカ(1981年〜1985年)
旧車パンフレットシリーズ87(トヨタ A60型 3代目後期 セリカ)

 ◇  ◇  ◇

トヨタ 5代目 セリカ GT-Four

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1989年にFMCして登場したこのT180型5代目セリカは、前代モデルと同じFFベースのプラットフォームで作られ、1995年まで販売されていました。

この写真のクルマはナンバーは付いていましたが、ほとんど長期間放置状態で状態は悪く、このままでは走れそうもないように思いました。もったいないですね。

前代T160型モデルは4駆モデルもありましたが、ベースが前輪駆動モデルということからはいまいち人気がなく、販売台数が低迷しましたが、この5代目モデルではWRCでドライバーチャンピオンや日本車初となるWRCマニュファクチャラーズタイトルを得るなどの大活躍があり、再びセリカ人気が出ました。

また前代モデルの最終形が映画「私をスキーに連れてって」に使われ、雪山を激走したシーンが圧巻でセリカの人気に火を付け、その後すぐにFMCしたこのモデルへ人気が引き継がれたということもあるでしょう。

前代(4代目)セリカの雪山激走シーンもあり
旧車パンフレットシリーズ28(トヨタ T160型 4代目 セリカ)

【過去のブラオヤジ+旧車シリーズ】
ブラオヤジ8(久々)+名車列伝
ブラオヤジ7(含む旧車シリーズ)
ブラオヤジ5(含む旧車シリーズ)

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posted by makan at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康
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