2023年06月07日

鳥取・島根歴史探訪ツアーその4



鳥取・島根歴史探訪ツアーその3」の続きです。「その1」はこちら、「その2」はこちらです。

今回の山陰歴史探訪ツアーも実質この日が最終日です。明日は朝から川崎の自宅へ向かってひたすら走るだけです。

それにしても、初日の鳥取のビジネスホテルから4日連続で宿泊先で温泉に入るという恩恵は旅の最高の贈り物です。旅の疲れもあり温泉でまったりしたあとは夜更かしもせずぐっすりと朝までよく寝ることができます。

この日は、国宝松江城、小泉八雲記念館、熊野大社(ここまで松江市)、須我神社(雲南市)をまわり、その後少し遠い奥出雲(島根県仁多郡奥出雲町)へ足を伸ばします。

玉造温泉から10kmほどの距離にある松江城は市街地のど真ん中にあります。松江市営松江城大手前駐車場(有料)に停めて中に入ると小学生が集団で写生に来ていました。松江市民の誇りでもあるのでしょう。

テレビなどで松江城が紹介されるときには必ず登場する「ぐるっと松江堀川めぐり(松江堀川遊覧船)」の乗り場がこの大手前駐車場の横にあります。今回は時間の関係で乗船はしません。なお駐車券を持って松江城に入館すれば駐車場の割引があります。

松江城は平山城(ひらやまじろ)ですが、周囲とはほとんど高低差がなく一見すると平城のような感じです。

江戸時代の初期、関ヶ原で功績のあった堀尾忠氏が松江藩の拠点として1611年頃に築城したのが最初です。

明治に入ってまもなく廃城令で天守以外の建築物は壊されましたが、奇跡的に天守は残り、その後保存運動などが起こって現在でもその雄志を見ることができます。

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見事な野面積みの石垣
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天守閣の中の階段は結構段差が高くしかも急角度なので、小柄な人や足腰が弱っている高齢者は結構つらそうでした。同じ国宝の松本城(長野県)も同様でした。

天守からの写真
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天守の見学のあと、松江城の城内を突っ切って駐車場の反対側に出て、その近くにある小泉八雲記念館へ向かいました。

途中の北の丸付近に城山稲荷神社(じょうざんいなりじんじゃ)があり、そこの狛犬や、耳が欠けたキツネ(お稲荷さん)の石像を、すぐ近所に住んでいた小泉八雲が好きだったという話しです。

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  ◇   ◇   ◇

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、ギリシア生まれの新聞記者でしたが、英語教師として1890年に松江に赴任し、1891年には松江の日本人女性と結婚します。その後も熊本、神戸、東京で英語教師として働き、同時に日本の伝統や文化などに興味を持ち多くの著作を残しています。1904年に書かれた「怪談」は最大のヒット作です。

1896年(明治29年)に日本人に帰化しましたが、1904年(明治37年)54歳の若さで亡くなっています。小泉八雲の八雲は、出雲の枕詞「八雲立つ」から取ったと言われています。姓の小泉は松江で結婚した女性の姓をそのまま使っています。

小泉八雲記念館
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記念館の隣には小泉八雲旧居があり、有料で公開されています。そこも見てきました。

小泉八雲旧居
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松江城のお堀をグルッと回り、再び大手前駐車場まで戻ってきますが、その駐車場の前に大きなお土産屋さん「島根県物産観光館」があります。ここには島根県のお土産が集められているので、まとめ買いをするのに適しています。私も旅館でもらった電子クーポン「しまねっこペイ」が2000円×3泊=6000円分ありましたので、それを使って買い物をしました。

島根県物産観光館
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お土産
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  ◇   ◇   ◇

午前中にまわった松江城と小泉八雲記念館のあと、熊野大社へ向かいますがその前にランチで地元の人に人気の「ラーメン長さん」へ寄ります。まだお昼前でしたが、店の中はほぼ埋まっていて人気がうかがえます。注文したのはチャーシュー麺(塩)1,000円です。

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幻の塩ラーメン!ってことですが、幻でも何でもなくそれがメインのお店ですが、スープはアッサリしていながらもコクがあり、これなら飽きずに何度も来て食べたくなりそうです。

  ◇   ◇   ◇

出雲國一之宮 熊野大社は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別名の伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)を祭神とする出雲国風土記の4大大神のひとつです。

紀伊の熊野本宮大社など熊野三社との関係は諸説あるのでハッキリしませんが、この熊野大社の社伝では「熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元である」(Wikipedia)とのことです。

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祈念木がありましたので家族の健康と平和を願って1本書いて納めておきました(300円)。

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  ◇   ◇   ◇

次は須我神社へ行きますが、熊野大社から須我神社へ向かうには県道を大きくグルッと回って山の反対側へ行くルートがカーナビやGoogleマップでは案内されます。しかし地図を詳しく見ると、山の中を突っ切って直線的にショートカットして須我神社へ行けそうな道(林道八所線)があるので、その道を走ってみました。

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これが思っていたよりずっと狭くてハードな山道でした。遠く700kmも旅をしてきて、このような道を好んで走る物好きは私ぐらいでしょうww

松江市 林道八所線
https://youtu.be/MXelNgPxzpE


昼間なので良いですが、夜に走るとかなり恐怖を感じそうな(なにか出そうな)道でした。ともかく冷や汗をかきながら須我神社に到着しました。対向車がこなくて助かりました。

須我神社は、須佐之男命(スサノオノミコト)と妻の稲田比売命(くしなだひめ)、両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)の三人が主祭神で、日本初の宮(宮殿)という謂われがあります。

須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む場所を探していて、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名したと伝承が残っています。そしてそこに住まいを定めたので日本初の宮(宮殿)なのですね。

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また須佐之男命がここで日本で初めての和歌を詠んだと言うことで「和歌発祥の地」ということにもなっています。その和歌とは「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」です。この和歌から「八雲」は出雲の枕詞になっています。和歌の意味は「雲が幾重にも湧く出雲の地で、妻との新居によい場所を見つけた。 妻のために垣根を幾重にも造ろう」ってことです。

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この後はおよそ36km先にある奥出雲(仁多郡奥出雲町)の「奥出雲たたらと刀剣館」へ向かいます。

  ◇   ◇   ◇

奥出雲と言えば、古代の頃から続くたたら製鉄が有名で、どんなところか気になっていました。山深い地域で過疎が進んでいるようですが、日本人の心の故郷でもある伝統や技術は絶やさず、伝承して残してもらいたいものです。自分は都会に住みながらわがままで勝手な希望ですが。

奥出雲たたらと刀剣館」はその奥出雲のさらに山の上にありました。斬新な八岐大蛇のディスプレイに迎えられ、一通り見学してきました。ただ模型中心の展示品の撮影はすべて禁止です。最近の博物館は撮影OKのところが増えていますが、ここは昭和の時代のままのようです。

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次は、せっかく奥出雲に来たので、1974年の映画「砂の器」の中で、犯人を捜すキーとして出てきた場所として有名になった「亀嵩」(かめだけ)駅と、その近くにある松本清張氏筆の記念碑を見てきました。

亀嵩駅は、JR木次線(きすきせん)の無人駅で、駅舎の中に設置された小さなテレビモニターでは映画「砂の器」が流されていました。今でも初めて「砂の器」を映画館で見た時のインパクトは鮮明に残っています。

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『松本清張 小説「砂の器」舞台の地』 記念碑は、国道432号線沿い「道の駅 酒蔵奥出雲交流館」の近くにある湯野神社の前にありました。

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この日の予定というか今回の観光予定はこれですべて終了し、あとは夕食を食べて、温泉につかって、翌日は朝から川崎に向けて帰るのみです。

と、前日の夕食の失敗(リストアップしていたレストランが2軒続けて休業)を反省し、今回は国道9号線上でプロドライバー達に憩いの場を提供している定食屋さんの休業日と営業時間を確認した上で向かいます。定食も良いですが、気持ち的にはカツカレーが食べたくなっています。

ごはん亭 はしもと
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庶民的で、しかもハードなプロドライバーのために健康とボリュームを考えた美味しい定食などが提供されていました。こういう店が大好きです。

4日目の走行ルート(距離133km)


そして5日目の最終日は川崎の自宅へ向かって走るだけです。

走行ルートは、高速代を倹約するため、最短距離・時間の「E73米子自動車道」ではなく、無料の高速が使える鳥取市回りで設定し、その後、E29鳥取自動車道(無料)、E2A中国自動車道、E1A新名神高速道路、E1名神高速道路、E1A新名神高速道路、E1A新東名高速道路、E1東名高速道路で川崎ICまでのおよそ760kmです。

ガソリンは玉造から近い島根県安来市内の国道沿いのENEOSで満タンにしますが、これで川崎まで無給油はギリギリなので、安全を考慮して途中のSAで入れることにします。

お昼は新名神高速の宝塚北SAのフードコートにある地元のラーメン屋さん「和海」(なごみ)でチャーシュー麺(塩)をいただきました。そう言えば前日のランチも松江市内で塩チャーシュー麺でした。

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そしてこのSAにENEOSのセルフスタンドがあったのでガソリンを給油しました。高速のSAはガソリン代がやたらと高く、ハイオクでいつも入れている川崎市内のスタンド(フルサービス)よりリッターあたり30円も高額です。

その後順調に走っていましたが、愛知県で新東名に入ってまもなく、突然インパネにEPC警告灯(ワーニング)が点灯!((( ;゚Д゚))

警告灯が点くとエンジンが保護モードに入り、アクセル踏んでも加速せず、変速せずで急減速のうえ、エンジンはノッキングしたようにガクガク震えてしまい、「このまま高速道路上でエンジン停止したらヤバイ!」と思って、すぐ先に岡崎東出口が見えたので、そちらに寄せて慣性を使っていったん高速を降りました。

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エンジンを停止し、しばらくして始動するとEPC警告灯は消え、下道を少し走ってみても異常は感じなかったので、再び新東名に入って無理せずゆっくり走り、100kmほど走った先の清水PAにたどり着きました。

警告からすでに1時間以上走り、異常も異音もないので大丈夫かな?と油断してしまい、清水PAから本線へ合流する時に勢いよく加速したのがいけなくて、再びEPCワーニングが点灯、エンジンがセーフモードに入ったため加速しない状態へ。

しかし今度はインターを降りるのではなく、次のSAまで走れないかなと思い、70km/hぐらいでゆっくり走るトラックの後ろについて30kmほど走行し、沼津SAにどうにかたどり着きました。そこでエンジン停止、再始動で警告灯は消え、その後約100km先の川崎ICまでエンジンをできるだけ回さないようゆっくり走って帰ってきました。

このトラブルについては後日談を含めてまたあらためて書くことにします。

今回のツアー全体を振り返ると、ちょっと強行軍で疲れたのと、クルマにトラブルが発生したことを除き、それ以外は楽しい旅でした。

5日目の走行ルート(距離777km)


■全期間走行距離(Googlemap)
1日目 675km
2日目 192km
3日目 112km
4日目 133km
5日目 777km
■合計走行距離 1,889km(Googleマップ) 1,885km(オドメーター)

ガソリン給油合計 121.43リッター(平均@170とすると20,643円)
平均燃費 15.52km/リッター(オドメーターの距離で満タン法)

有料道路 合計22,380円
(行き)東名川崎−福知山 8,190円(深夜ETC料金)
(帰り)米子−岡崎東 7,960円 岡崎東−東名川崎 6,230円 合計14,190円
(途中、トラブルのため岡崎東で降りなければ13,040円)

鳥取・島根山陰ドライブその1」(福知山城、鳥取砂丘)
鳥取・島根山陰ドライブその2」(境港、美保神社、ベタ踏み坂、能義神社、揖夜神社、黄泉比良坂)
鳥取・島根山陰ドライブその3」(荒神谷遺跡、出雲大社、日御碕神社、佐太神社)

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posted by makan at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行/ドライブ
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