2009年06月01日

関西遠征その2(京都、安土編)



関西遠征その1(信楽、京都編)の続きです。

5月30日(土)関西遠征初日の午後は前夜からの徹夜なので居眠り運転をしてはまずいと思い、所用で行った右京区にある竜安寺、仁和寺にほど近い場所から、とりあえずは今日の宿泊地の滋賀県は草津市へ向かうことにしました。

京都市内を東西に横断している今出川通りを西端から東端の銀閣寺まできたところで、ナビは南東方向にある名神高速京都東ICを目指すよう指示しますが、もう十分高速道路は堪能したし、本来のランエボが得意とする峠道を走りたくなり、一路北へ進路を変えて山中越えルートを選択し、比叡山方向を目指します。

銀閣寺入り口の交差点チラッとだけ大文字が写ってます。

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途中美味しいラーメン天天有(営業は夕方から)や天下一品(本店)の近くを通りますが、朝からモーニング、くずきり、ランチ(パスタ)を食べたのと、10時間近く座って運転ばかりしているのでお腹がすきません。

山中越えは峠道と言っても交通量が多く、しかも道幅も狭くずっと追い越し禁止なので、ゆったりと眠気を誘うスピードでの走りです。ちょっと大回りになるけれどもっと北にある八瀬、大原を経由する途中越えにすべきだったかとちょい反省。

比叡山にも寄りたかったんですが、前を走る非常にトロいミニバンが比叡山側に向かったので、あきらめて大津方面へと一気に下っていきます。琵琶湖を見ながら峠を下りるとそこでナビは草津までの最短距離である大津の繁華街を抜けていくルート1方向を指します。

ここで時計を見るとまだ2時半過ぎ、草津のホテルへ行くにはまだちょい早過ぎるしもったいないので、明日行く予定だった安土城跡へ向かうことに。それなら方角はルート161を右ではなく左へ行って琵琶湖大橋を渡っていくのがベストだろうとナビに逆らって右へ。

ところがルート161は思いがけず混んでいて渋滞でなかなか前へ進まない。今までは午前中しかも早朝だったので割とどこもスイスイ走れたんですが、さすがに土曜日の午後ともなると仕事のクルマとレジャーで使うクルマで溢れています。3時過ぎにようやく琵琶湖大橋の袂にある道の駅に着きトイレ休憩。ここからみる琵琶湖大橋の景色はいつ見てもかっこいいです。

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この琵琶湖大橋にはタイヤの振動音で琵琶湖周航の歌が流れる仕組みのメロディーロードが敷設されているのですが、前のクルマにくっついて○○○km/hであっちゅーまに通過したのでなんだかよくわかりませんでした。

さて安土城跡ですが、4時までに着かなければ中に入れませんのでゆっくりしていられません。道さえ混んでいなければ楽勝なのですが、この先どうなのかわからないのと、少しでも早く着いてゆっくり中を歩きたいと言うこともあり先を急ぎます。

ラッキーなことに湖岸を走る道は空いていてしかもよく整備された道なので気持ちよく走れます。ただスピード取り締まりなどがどこでおこなわれているかもわからないので、おとなしく地元のクルマの後ろをついて走ります。そして3時50分に安土城跡(ハ見寺)入り口の近くにある駐車場に到着。

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そこで今回の遠征中に見た最初で最後のランエボXを発見。白の08年モデル、マッドフラップがついているのが特徴で、駐車場にほぼ同時に入りましたので近寄って「マッドフラップかっこいいですね!」と声をかけてみようかと思いましたが、4時までに受付を済ませて入場しなければ中に入れなくなるのであきらめて入り口まで小走りに。

今回約1000kmを走ってランエボXを見るのが1回だけというのは、なにか絶滅危惧種に近いモノを感じますね。今回走っていてよく目立ったのは旧型プリウスと新型インサイト。合計すると何台も見かけました。やっぱり売れているというのは本当なんですね。

実はこの5月30〜31日は「あづち信長まつり」というのが開催される予定でしたが新型インフルエンザ流行のため中止となっていました。もし開催されていると交通規制があり、まつりの会場ともなっているこの駐車場までたどり着けなかったかもしれません。

そこで安土城跡です。

4時きっかり(というか受付のところにいた夫婦と思わしき人達がなんだか受付の人と長々と話をしていたので約10分遅れて)入場。受付で聞くと5時には閉門しますと言われ、聞くと1時間あれば十分上まで行って戻って来れますからとのこと。

しかし見上げるとそこには長く長く続く石段が・・・それが悪夢の始まりとも知らず歩き始めました。

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私はとても数える気にもなりませんでしたが噂によると階段の数は440段。

安土山は標高200mなので、入り口のところが仮に標高50mだったとすると、登るのはたかだか150mじゃないか!とたかをくくっていました。でもそれは甘かった、、、

えっちらおっちらと次から次と現れる石段を登っていきます。

この石段一段一段が普通の階段よりも高さがある(1段が30〜40センチぐらい)上に、様々な形の石で組まれているので、高さがまちまちでリズムよく登っていくことはできません。

登りやすそうな場所を探しながら右へ左へ位置を変えながら、上を見るとまだまだ長く続く石段があって気持ちが萎えてくるので、足下だけをしっかりと見ながら、一段一段踏みしめながらひたすら登っていきます。

ちなみに金比羅山の石段は785段なので今回安土城跡の1.8倍の長さです。

でもこちらのほうが階段が凸凹で足場が悪いのと1段あたりの高さがあると思われるので、体力的にその差はもっと小さいような気がします。

登っていく途中には当時信長の部下だった豊臣秀吉や前田利家の居住地跡があります。

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昔の武人にはこんな石段はなんでもなかったんだろうなと思いつつ、何度も挫折しそうになりながら(ここのところ仕事もデスクワーク、休日も家でゴロゴロしていてまったくの運動不足です)、ひざがガクガクしはじめてきましたが、ようやく頂上らしきところに到着。

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ここが日本初の天守台(天守閣の基礎部分)跡です。築城は1576年、今から約430年前のことです。

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この基礎石の上に、望楼型地上6階地下1階の見事な天主があったわけです。

豪華絢爛と言われ当時の最先端で作られた安土城ですが、信長の死後謎の火災で焼失してしまっています。想像で作られたレプリカが伊勢の伊勢・安土桃山文化村」というレジャー施設にあります。

6階建ての天主(天守閣)は、この天主台からさらに20〜30mぐらい高いところにあったと思いますが、この地から天下統一を目前にして信長は夕陽に染まる琵琶湖(当時はすぐ近くまで琵琶湖があったらしい)や比良連峰を眺めて何を想っていたのでしょう。

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この安土という場所は、現在ではほとんど忘れ去られた場所(地元の方失礼!)ですが、戦国時代の当時は東海道、中山道をはじめ越中・越後から都へつながる交通の要所でもありました。そして360度が見渡せるこの場所は信長にとっては戦略上、最適なお城だったんでしょう。

さて頂上でゆっくりと感慨にふけっている間もなく、時間を気にしながら降りなくてはなりません。
途中、信長本廟やハ見寺三重塔なども見ながら一気に下っていきます。ん?本廟?こんなところに?

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「信長の棺」(加藤廣著)というミステリー小説を読みましたが、結局本能寺で自刃したと言われている信長の骨は見つかっておらず、現在移転した本能寺含めてあちこちに本廟があるようですね。

さて階段を降りるのはやっぱりずっと楽ちんですが、登りで膝や足腰に相当ダメージを受けていて、若い時みたいにぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして降りてはいけません。まだ長い運転もしなければいけないので、そこは足をくじいたりしないように一段一段慎重に。

出口まで降りてきたのがちょうど5時、日の入りは7時前なので、まだ外は明るく本当は夕陽で朱に染まる西の湖へ行きたかったのですが、登坂で気力・体力を使い果たし、あわせて徹夜の睡眠不足による疲労もかなりきていたので、まっすぐ草津のホテルを目指しました。

これで関西遠征初日の行事はすべて終了。あとはシャワーを浴びてメシ食って爆睡するだけです。 

関西遠征その3(信楽リベンジ編)へ続く

関西遠征その1(信楽、京都編)
関西遠征その3(信楽リベンジ編)



posted by makan at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行/ドライブ
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