クルマを買おうかなと思ったときにまず自動車雑誌を買って、評論家(ジャーナリストという場合もあり)の試乗レポートや購入条件などを調べてからという人も多いと思います。
雑誌には現行車の次のマイナーチェンジやフルモデルチェンジの情報や、今後出てくる時期の予想など書かれていて、どのタイミングで買い替えるのがいいかなど参考になることが多いと思います。
ただ雑誌は読者が書店で買ってくれる売上だけで制作できるわけではなく、当然誌面には多くの広告を掲載し、その広告費も含めて成り立っています。そしてその広告の大きな部分を占めるのが自動車の各メーカーです。
よく「スクープ記事」という表現で掲載される記事がありますが、そのほとんどはメーカーからの意図的な情報リークで、雑誌社が独自にスクープしたものではありません。
もし本物の機密情報をメーカーに無断で掲載したら、それこそ次から広告はもちろん、試乗車の提供すら一切受けられなくなってしまい、自動車雑誌としては生き残れなくなります。
事前のメーカー公認の情報リークはメーカー側にとっては読者の関心を惹きつける効果とともに、他社のクルマを購入しようと交渉中の人に待ったをかける絶好の撒き餌です。
そんな自動車メーカーと持ちつ持たれつの自動車雑誌ですから、そこで書かれているクルマの試乗記やテスト記事は、かなり割り引いて、読み解く必要があります。
例えば「乗り心地は上品に仕上がっている」とは、単に「フワフワしていて頼りない足回りと乗り心地」のことだったり、「エンジンはドライバーの意のままに快適に回る」は、シビアな環境のレーシングエンジンでもあるまいし、新車のエンジンが意のままに快適にまわらないわけがないので、ここでは「ありきたりな平凡なエンジン」という意味だったりするわけです。
その他の言い換え(本音)の例としては、
「乗員に優しい」→「なんの特徴もない」「歩行者には優しくない」「不要不急な意味のない装備が付いている」
「後席がゆったり」→「前後シートが薄くペラペラ」「ホイールベースが長くて取り回しが悪く」
「ゆったりとしたシート」→「長距離運転するとお尻が痛くなるシート」「不必要に大きいシート」
「くつろげる(落ち着ける)スペース」→「たいくつなスペース」「地味な内装」「大作りなインテリア」
「格調高い木目調の…」→「プラスチックに木目のシールを貼った…」
「高級感あふれるデザイン」→「メッキをゴテゴテあしらったデザイン」「無意味にでかいデザイン」
「狙ったラインをトレースしてくれる」→て、言うか、それが当たり前だろ、普通、、、
「エンジン音が静かで」→「エンジンは非力で」「性能はたいしたことがなく」
「圧倒的なエンジンパワーで」→「燃費は悪くて」「足回りやブレーキがパワーに不釣り合いで」
「世界初!」「日本初!」→そのほとんどが、その後継続されない意味のないものが多い
など、優れた自動車評論家や試乗レポートのライターとは「物事の言い換えがとても上手い」ことと同義語と言ってもいいでしょう。
とにかく新車について誉めちぎれることが、自動車評論家やレポーターの最大の能力です。時々本音を語る評論家やジャーナリストもいますが、それはメーカースポンサーに縛られていない場に限ってのことです。
徳大寺有恒氏が1976年に「間違いだらけのクルマ選び」を最初に発刊したとき、「もし本名でこのような正直な感想を書いた本を出せば間違いなくメーカーからの反発を喰らって評論家としての仕事を失う」と覆面評論家として出版しました。
その本は特定の車種を名指しして「こんなクルマを買う人がいるから不思議」「俗悪趣味」「古くさいだけ」「見せかけだけ」などバッサリと切る過激な内容でしたが、当然業界は騒然となり、犯人捜しが始まりました。
メーカーからだけでなく自動車評論家団体からも反発を受けた徳大寺氏ですが、この本が毎年大ヒットし、読者からの信頼を得て、大物評論家になったため、そうなると誰も手出しができなくなったという特異な例でしょう。
ちなみに私個人としては徳大寺有恒氏のレポートは、参考になることも多くて面白いのですが、独断が過ぎて客観性を欠いているように思えてあまり好きではありません。大物評論家たる所以なのかもしれません。
新車の開発サイクルは、現在5年ごとになっていますが、これは新車から初回の車検が3年(1988年までは2年)、2回目の車検が2年の合計5年が経てば、新車への乗り換え時期だろうという判断から来ています。
まだ日本のクルマの発展途中だった20〜30年前は、4〜5年ごとにボディが丸くなったり角張ったり試行錯誤が繰り返され、エンジン性能や燃費、足回り、内装、装備品なども明らかに年々進歩していました(下図参照)。
主たる技術、装備の年代ごとの変遷(画像クリックで拡大)

1960年代から1980年代の30年間は、クルマが日進月歩で進化してきたことがわかります。ところが、1990年代以降、2010年までの20年間では、ぜいぜいカーナビとハイブリッドエンジンが加わったぐらいで、進化はほとんどありません。
さらにその頃のクルマはボディ塗装や下地の処理の質が悪く、5年も経てば、ボディのあちこちから錆が浮いてくることもよくありました。4〜5年も前のクルマに乗っていると、スタイルが流行遅れで、装備も古く、塗装がハゲかかっている、「いかにも中古車」って感じだったので、その「新車開発サイクル=購入サイクル」が有効に機能していたと言えます。
しかし現在では、耐久性、性能、デザイン、塗装、装備のどれをとっても5年で乗り換える必要がまったくなくなり、1970年代では3〜4年だった乗用車の乗り換えが、現在(2009年)では7.5年と約2倍に延びてきています(下図参照)。
財団法人自動車検査登録情報協会の統計データを元に筆者がグラフ化(画像クリックで拡大)

そのせいでもあるのでしょう、従来だと前車から同じブランドで買い換えてもらうためにフルモデルチェンジをして、新車もそのまま旧車名を引き継ぐことが多かったのですが、最近では、同じブランド車からの買い替えだけでなく客の目先を変えるため、新しい名称を付けたニューモデルが次々登場してきます。
もう自動車業界の人でも、現在販売されているすべての車名を正確に言える人はいないでしょう。
成熟した現代のクルマ選びでは、せいぜいエコかブランドか価格に頼るしかありません。つまり性能や機能、デザイン、装備で売れる時代は終わってしまったということです。
そうすると、今まで「走りの質」や「新機能」「新装備」でメーカーの代弁をしていた自動車雑誌や評論家達の出番はなくなりました。
どれをとっても似たり寄ったりのデザイン、装備、走行性能ですから、あらためてレポートして評価する必要もなく、他社との違いをメーカーに代わり、あたかも第三者のフリをして感心したり驚いてみせる必要がなくなったということです。
若者のクルマ離れもあり、メーカーから得られるスポンサー料も減り、自動車の雑誌社自体の経営が苦しくなっています。
そうすると雑誌出版社も高額な謝礼が必要な評論家にレポート記事を依頼するのではなく、自社の記者や安い無名ライターを使わざるを得なくなり、高度成長期やバブル時には人気が高かった自動車評論家と称する職業も今や風前のともしび状態、凋落の一途を辿っています。
元々自動車評論だけで食っているわけでない人は、他へ行けばいいだけですが、そうでなければ趣味性の強い欧州車の評論家へ進むしか残されていないでしょう。
【考察シリーズ】
ランエボの維持費についての考察(考察シリーズ24)
ドアロックする?しない?についての考察(考察シリーズ20)
カーナビについての(自己流)考察(考察シリーズその4)
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