東北被災地応援ツアー1日目(岩手、宮城、福島 2013年1月)
朝ホテルで目覚ましをかけた6時半より前に目が覚めると、まだ薄暗いのは仕方がないとして、窓の外はいまにも雪が降ってきそうな雲行きです。
それでめげるわけにもいかないので、さっそく着替えて朝食に向かいまだ誰もいないレストランで、バイキングスタイルの和食をいただきます。
普段自宅ではバタートーストと牛乳、コーヒーですが、旅に出るとなぜか生卵と納豆、海苔の朝食を食べたくなります。
本日の予定は、宿泊した松島で日本三景を観光をした後、石巻市(宮城県)に向かい、そのあとは時間があれば昨日行く予定でしたが日没で行けなかった女川町や、南下して宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区へ行く予定です。
女川町は人口の8%以上にあたる830人の犠牲者を出して住宅や店舗など建物の70%以上、約4700戸が全壊及び半壊した被害甚大な地域で、名取市は津波被害の大きかった閖上地区を中心に1000名を越える犠牲者を出したところです。
そして本日の宿泊は、福島第一原発を大きく迂回し、福島県いわき市小名浜のビジネスホテルです。予定の全部をまわると300kmを越え、夕方早くに暗くなることを考えるとちょっと全部をまわるのは厳しそうですが、行けるところまで行くということで。
タイトルに「応援ツアー」と付けたのは自己満足でしかないのはわかっています。ボランティアで復興のお手伝いをしたり、地元に大きなお金を落とせる事業を始めたりというのではなく、観光でまわってわずかばかりのお金を落とすだけですから。そのような中で、できるだけ復興している様子を見て伝えられたらいいなと思っています。
さて本日の最初は松島周遊クルーズは9時出航ですので、8時過ぎにはホテルを出て、観光船桟橋近くの駐車場へ入れます。さすがに平日の朝というだけあってどこもガラガラです。
ここ観光船も津波で多くが壊れてしまいましたが、懸命の復旧で他の地区よりも早くに通常営業にこぎ着けたということです。日本三景のひとつですからいち早く営業再開をして観光客を呼び込むことが、町全体を活気づけるためにも必要だったのでしょう。
先に観光船の乗船券を買い、まだ出航まで時間があったので、すぐ前にあった国宝瑞巌寺へ。中に入るとそれなりに時間がかかりそうなので、古そうな総門をくぐって参道付近をブラブラと。

この瑞巌寺は平安時代の創建で、伊達政宗の菩提寺として有名です。松島も一昨年の津波で被害を受けましたが、湾内にある200数十の島々が防波堤の代わりになって、他の港よりは被害は少なかったようです。海岸から数十メートルしかないこの瑞巌寺へも海水が流れ込んだようですが、国宝の本堂など建物への被害は幸いありませんでした。
総門をくぐると参道がまっすぐに続いています。ふと右側を見ると大きな岩にポッカリと大きな穴が開いていて洞窟のようになっています。調べるとこれは岩窟群遺跡と言われるもので、その中の壁面には仏像や法名を彫った古い跡が数多く見られます。なんだかとても不思議な感じです。

さて9時少し前になって桟橋へ行くと、観光船の関係者がガヤガヤと10名ほど出港の準備をしていますが、他に客は見あたりません。定員88名の中型船なのに、えぇぇって思っていたら一人のおじさんがやってきました。
結局乗船した客は私とそのおじさんの二人だけです。乗船料は1400円ですから二人で売上げは2800円。燃料代ぐらいにしかならないので申し訳ない思いです。

松島湾内外には大小200数十の島があるそうですが、その中でも20ぐらいの島を見てまわります。
一応紙の資料と船内放送で島の名前と由来などが聞けるのですが、ま、風光明媚な有名観光地というだけで、特になにか見どころがあるわけではありません。また津波で壊れてしまったという島もいくつかありました。

もし今後この観光船に乗る機会があるならば、船の左右どちらに座ればいいかというと、お勧めは右側でしょう。今回はガラガラだったので左右どちらにでも自由に移動できましたが、もし混雑していて移動できないとしたらの話しです。
湾内クルーズをしている間に急に雪が強く降ってきました。雨よりはいいのですが、雪のため視界も悪く、観光にはあまり適さない天気となってしまいました。
松島を後にして、石巻へ向かいます。まず道の駅上品の郷(じょうぼんのさと)へ。ここで家族や会社へのお土産を買おうと思ったものの、ここでは地元の海産物や野菜の販売が中心で、メジャーなお土産はほとんどありませんでした。
この道の駅は、石巻市街地から少し離れているものの、見下ろせる高台にあるということでコースに入れましたが、あいにくの天気でなにも見えずでした。
とりあえずとろろ昆布とひじき、煎りたてコーヒーを買って次の日和見公園へ。公園の手前でナビの指示はものすごい急な坂道を登れと案内しますが、滅多に車が通らないためか道には雪が積もっています。
しかも一方通行ではないのに車がやっと1台通れる狭さ。一瞬どうするか迷いましたが四駆&スタッドレスを信用してままよと突入したところ難なくクリア。慣れない急坂の雪道で対向車が来たらもう死ぬと思いながら冷や汗ものでした。
日和見公園は石巻港に近くしかも高台にあり、石巻の津波の被害を伝える際によく使われた撮影場所です。あいにくの天候で写真はボケていますが、北野武とキムタクが出ていたトヨタのCMに登場した石ノ森萬画館の特徴的な建物が見えます。

この石ノ森萬画館は大津波に襲われて建物や展示物の多くに被害が出てしまいましたが、昨年11月に再開にこぎつけています。
2011年3月の被災時の状況(公式ブログ)
石巻は宮城県内でも仙台市に次ぐ大きな都市でもあり、官公庁や大手企業も多く、そのためか比較的復興のスピードが他の地区と比べると速いように思えます。
しかし広大なエリアでの工事なので、どこへ行っても建設土木重機の音が鳴り響いていて、被害の傷跡がなくなるまでにはまだ数年はかかりそうな感じです。
下の写真は、旧北上川沿いに建つ湊小学校で、まだ閉鎖されたままです。校舎の大時計(3時47分)はおそらく津波が到達し、その後停電した時を指しているものと思われます。

この湊小学校は一時期は避難所としても使われ、それが映画にもなっています。
「石巻市立湊小学校避難所」
次は石巻市街地から車で20分ぐらい走った先の女川町(宮城県牡鹿郡)へ。前述の通り東日本大震災で被害の大きかった場所ですが、それは2年近く経った今でも想像を遥かに超える光景でした。町の7割が津波にのみこまれたわけで、それがほぼすべて更地になっている光景です。

女川湾は入り江の形が陸地に近づくにつれ形状が徐々に狭まっていることから、津波が次第に大きくなり、しかも強力になって町全体を襲ったと思われます。そこに町があったとはとうてい思えない惨状です。
女川といえば市街地から少し離れた半島に東北電力の原子力発電所があることでも有名ですが、13mの津波に対しそれを上回る14.8mの防波堤に守られ被害を免れたようです。
当初の計画では12mの防波堤の計画だったところ、過去の津波の資料から13mの津波を防げるようにとコストがかかっても造った先見性はたいしたものです。万が一当初の計画通り12mだったら、原発は浸水し、福島第一と同じように大事故になった可能性もあります。
石巻と女川はJR石巻線が海岸沿いに通っていましたが、津波で線路が壊滅し現在も渡波-女川間は不通です。しかし着実に復旧に向けて新しい線路が敷かれていました。

午後になり、地元の店でランチをとり、280km先の本日の宿泊先小名浜(福島県いわき市)へ向かいます。閖上地区にも行きたかったのですが、寄っているとホテルへの到着がかなり遅くなりそうで、断念しました。
三陸自動車道から仙台東部有料道路/仙塩道路、仙台南部道路を経由して東北道、磐越自動車道を乗り継いでいわき市へ入ります。いわきの観光と言えばフラガールで有名なスパリゾートハワイアンズですが、ひとりで行っても楽しめないので今回はパスです。

途中のサービスエリアで自宅用と会社用にお土産を購入しました。定番の萩の月、寿の三色最中、仙台ゆべしとお菓子系です。
昔仙台出張があった時にはいつも買っていた東北でしか買えない(今は通販もあるが)「白松がモナカ」を頼まれていたのですが、このSAには置いてありませんでした。残念。
小名浜に入り、予定では近くにある湯本温泉で日帰り入浴に寄ってからホテルへと思っていましたが、疲れもピークに達してきたのでファミレスで夕食を摂り、そそくさとビジネスホテルへチェックインしました。2日目も1泊朝食のみのプランです。
2日目の走行距離約341km

A)松島 B)石巻(上品の郷) C)石巻(日和見公園) E)女川 F)小名浜
東北被災地応援ツアー3日目へ続く
さらに・・・東北被災地応援ツアー番外編
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