ネタもあまりないので、備忘録がてら、過去のマイカー遍歴を書いておきます。今回は「その1」です。
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大学生時代は一時期、体育会自動車部ってところに身をおいていたものの、いろいろあって1年とちょっとで退部し、その後は朝昼晩とアルバイトに明け暮れてました。
そのバイト先の年配の人に「タダであげる」と言われ、あまり気が進まなかったものの、せっかくの話しだったので登録し数ヶ月乗っためちゃー古〜い(1960年代)クルマが事実上最初のマイカーなのですが、その黒歴史は私の中ではすでに消し去っていますw
で、学生時代にバイトで貯めたお金で初めて買ったのは、当時ラリーで席巻していた三菱ランサーGSRやその派生型ランサーセレステの前身と言えるギャランクーペFTOで、綺麗なグリーン(若草色のメタリック)の4年落ち中古車です。当時は2年おきの車検で、2年落ち、4年落ちの中古車というのが一般的でした(当時の品質では8〜10年で廃車レベル)。
1台目
1973年式 三菱ギャラン FTO 1600GS5(1977年2月〜1979年2月)

惜しいことに最上級グレードのGSRでなく、その下のGS5です。
GSRとの違いは足回り(GSRは車高を少し下げてトレッドも拡げてある)と、オーバーフェンダーが付いてないだけで、エンジンや5速MT、内装などは同じものでした。
オーバーフェンダーは幅が変わって車検に引っかかるので、せめて足回りだけはと、GSR用のスプリングとモンローのガスショックを入れて足回りを強化してみました。ガスショックが強烈で、ゴツゴツしてまったく酷い乗り心地でした。
さらに、ボディをGSRの専用塗装(カーキ色)に全面塗装し、バンパーもGSR用のボディ同色バンパーに替えてみました。もうどこからみてもなんちゃってGSRw

エンジンなど基本構造は当時国内外のラリーを席巻していたランサーGSRと同じ仕様だけに、直線番長ではありましたが、ライバルだった初代のレビンやトレノ、サニークーペGSなどとも互角に渡り合えました。
しかし、リアのサスペンションが当時普通だったリジッド式のリーフスプリングの上に、堅めのガスショックを入れたので、段差ではリアがピョンピョンと飛び跳ね、高・中速コーナーでは姿勢が安定せず、(運転が下手なので)何度かコーナーを曲がりきれず、車線を大きくはみ出したり、時にはスピン喰らったりと、何度も怖い思いをしました。
そこで、まだ学生時代でしたが、もうちょっとコーナーで速いクルマをと2台目のクルマを購入することに。
狙いはコーナーを安定して曲がっていく、日産ご自慢の4輪独立懸架セミトレーリングアーム式リアサスペンション(通称セミトレ)を装着したクルマです。
当時、中古車市場に出ている日産車で、そのセミトレを装着していたのは、ローレル(C130)、スカイライン(ケンメリC110)、ブルーバード(610)、バイオレット(710)の最上級グレードだけです。
その中でもラリーに興味があった私的に、軽量でWRCにも出場していたバイオレットSSSに絞って情報を集めていたら、偶然新聞の2行広告で4年落ち中古のバイオレット(KP710 SSS HTクーペ)を見つけ、翌日には見に行ってすぐに即決してきました。
2台目
1975年式 日産バイオレット1600SSS HT(1979年2月〜1983年12月)


このバイオレットは、ブルーバードやスカイラインと比べると、クルマとしての評価は高くなかったものの、個人的には2ドアクーペなのに5人乗車ができ、当時小型車の多くがビニール製シートだったところ布製シートで、またボディ剛性も高く、故障知らず、もちろんサスペンションは当時の最先端をいき、エンジンは公害規制前のSUツインキャブ仕様、日産伝統のL16エンジンでよく回わり、大変気に入ってました。
ただ当時のクルマの塗装は、青空駐車の場合、5〜6年ぐらい経つと、色がはげてきたり、あちこちにさびが浮いてきたりとひどいモノが多く、このクルマも所有中に同系統のホワイト(初代ギャランシグマの白)で全塗装をおこないました。2台のクルマを全塗装(もちろん専門業者に依頼)したというのは割と珍しい経験かも。
1980年に社会人となり、何度か転勤がありましたが、このバイオレットは手放さず、東京、名古屋、大阪と転勤しても乗り続けました。
そして社会人3年目に入り、ようやくお金に余裕が出てきたので、初めて新車を購入することになります。独身なのでやっぱり2ドアクーペが好みです。
3台目
1983年式 ホンダ プレリュード 1.8 XX(AB型)(1983年12月〜1988年10月)

当時のクーペモデルとしては、日産・シルビア、ガゼール(S12型)、いすゞ・ピアッツァ、マツダ・RX-7(初代)、日産・フェアレディZ(Z31)なども候補に挙がりましたが、価格と足回りの素晴らしさ、先進性に惚れてプレリュードに決めました。
またこの2代目プレリュードは登場直後は不格好なフェンダーミラー装着車でしたが、規制が変わりドアミラーになると聞いていたので、その替わるタイミングを待って購入しました。
居住性、整備性の良さや今まで馴染んだFR車ということで選べばシルビアに、エンジン性能で選べば強力なロータリーエンジンを積むRX-7に、価格を考えず見た目で選べばフェアレディかピアッツァになったところでしょうけど、コスパと足回り重視の私としては、早々にプレリュードに決めました。
なぜトヨタの車種が出てこない?って思われるかも知れませんが、単に(当時の)大衆迎合でモータースポーツに後ろ向きだったトヨタ車が嫌いなだけですw
購入した2世代目のプレリュードは、前輪のサスペンションがWウイッシュボーンという主としてレーシングカーなどに使われるマニアックな形状のもので、さらに重心が低いため、FFのくせにやたらとコーナーリングスピードが速かったのです。
さらにバイオレットで深夜、峠道をかっ飛ばしていると、何度かフロントディスクブレーキがフェードを起こし、フロントブレーキが効かなくなるという怖い体験をしましたが、このプレリュードには今では普通ですが、4輪ディスクブレーキ&ALB付き(市販車で日本初)で、当時のクルマとしてはブレーキ性能が格段に上がっていたのも高評価です。
現に、十数キロだらだらと下っていく、いつも練習がてらに好んで走っていた深夜の峠道において、走り屋風のセリカが前を走っていたので、それにピッタリとくっついたら、追いつかれたことに熱くなったのか、妙に張り切ってしまい、案の定ブレーキがフェードしてしまったらしく、すれ違いが難しい場所で停止していた対向車とガードレールのわずかな隙間にまともに突っ込んでいったのは、半分は追い込んだ私の責任かなと反省しています。
所詮、いくら強力?な2000ccDOHCエンジンを積んでいるセリカ2000GTと言っても、初代セリカの性能(サスペンション&ブレーキ)では、下りの峠道においてやや非力ではあるけど軽量でコーナリングマシーンなプレリュードの敵ではありません。
プレリュードのエンジンは1800ccNAのSOHC電子制御式の燃料噴射で、パワー不足はゆがめませんが、軽量なボディに贅沢なサスペンションと強力なブレーキで、下りの峠道では最速のように感じました。
ただ今までのクルマのようにエンジン周りに手を入れたりキャブの調整はできず、せいぜい、軽量アルミホイール、MOMOの革巻きステアリング、リアスポイラー、バンパーのボディ同色塗装ぐらいの改造でした。
5年間このプレリュードを堪能しましたが、2回目の車検時において、ライバル車などは次々とターボエンジンを積み、加速時のパワーに物足りなさを感じていたら、新型(3代目)プレリュードには最初から2リッターDOHCエンジンが搭載されており、さらに小回りが効くAWSも装備と聞き、これは買うしかないなと買い換えることにしました。
別にディーラーの言いなりで買ったわけではなく、ちゃんとライバルの日産シルビア(S13型)も試乗し、乗り比べましたが、格好は良かったものの、大量に売れる大衆車の呪縛から抜け切れてない日産車より、スポーツクーペと割り切って洗練されたプレリュードの勝ちと認識し、連続してホンダ車に乗ることになりました。
アルミホイールやステアリングなど前のクルマに付けていた用品がそのまま使えるというメリットもあり、維持費などコスト要件も後押ししました。
4台目
1988年式 ホンダ プレリュード 2.0Si(BA型)(1988年10月〜1993年9月)


これを購入した時は、すでに結婚して子供が二人いましたが、二人ともまだ幼児だったので、あと数年間はギリギリ2ドアクーペに乗れますが、この次からはセダンなどファミリーカーになると思っていましたので、これが人生最後のクーペになると思い切って買いました。
この3代目プレリュードにつく機械式の4WS(4輪操舵システム)は、高速道路での車線変更時や、狭い道でUターンする際など、個人的には気に入っていましたが、世間的にはあまり評判が良くなかったせいか、この車種だけで終わってしまいました。確かに真っ直ぐバックすることが難しく、縦列駐車などはちょっと苦労しました。
クルマは特にイジることもなく、ホイールとステアリング以外はノーマル状態で5年間乗りました。
私のマイカー遍歴 その2へ続く
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