2018年07月18日

東北激走ツアー2018 その2



1日目は、川崎から関越道を北上し、新潟を経由して、山形、秋田に立ち寄り、青森までやってきました。その走行距離は約800kmです。

東北激走ツアー2018 その1の続きです。

これだけの長距離を普通に走っていると、アクセルやブレーキを踏む右足の関節と筋肉が完全にバカになってしまいます。直前にクルーズコントロールを付けて本当に助かりました。これがなかったら、途中で足がつってしまい、どうなっていたことか、、、

朝7時には目を覚まし、青森駅前のビジネスホテルで朝食を食べ、2日目がスタートです。

2日目の最初の目的地は、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』や、高倉健主演の映画でも有名な青森にある八甲田山へ向かいます。小説も読み、映画も何度か見て予備知識は持っています。

八甲田山というと映画でもそうでしたが、深い山奥というイメージですが、実際は青森市街地から距離にして20kmほど南下したところで、クルマなら20〜30分ほどで到着します。

「八甲田雪中行軍遭難事件」は明治35年(1902年)におこなわれた陸軍の演習で、雪中行軍210名のうち199名が猛吹雪に見舞われ、凍死で亡くなるという悲惨な出来事ですが、遭難事故は八甲田山の山の中で起きたのではなく、その途中の小高い裾野付近の高原で起きています。

ロシアとの戦争が近いと考え実施された雪中行軍訓練中に遭難する陸軍第8師団歩兵第5連隊は、青森市街地にある基地をスタートしたその日、八甲田山へ入ったところで猛吹雪に遭い、道に迷うことになります。

まずは青森市街と遭難現場の中間にある「八甲田山雪中行軍遭難資料館」へ向かいます。

玄関を入ったところには、この後に向かう八甲田山雪中行軍遭難記念碑と同じ銅像(レプリカ)が飾られていました。

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資料館の裏手には、市の指定史跡天然記念物となっている「幸畑陸軍墓地」があり、遭難して亡くなった199名の墓標が建てられています。

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資料館からクルマで10分ほど走ったところに、鹿鳴庵(銅像茶屋)と広い駐車場があり、その周辺が多くの兵士が力尽き凍死した場所とされています。

そして駐車場にクルマを停めて坂道を250mほど登ったところに八甲田山雪中行軍遭難記念碑が建てられています。

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この記念碑の像は、救援隊要請のため下山してきた後藤房之助伍長をモデルにしていて、道半ばで力尽き、仮死状態のままで直立していたと言われています。

もし倒れてその上に雪がかぶってたら、遭難者の発見がさらに遅れ、犠牲者も増えていたと言われています。この後藤伍長を含む生還した11名も、そのほとんどは手足にひどい凍傷を負い、切断せざるを得ないひどい状態でした。

記念碑のある遭難場所からクルマでさらに少し上ったところにある八甲田山ロープウェーに乗って、八甲田山の頂上近くまで上がってみたかったのですが、あいにくの天気で前日の鳥海山と同様視界がほとんどなく断念しました。今回は「天はわれを見捨てたらしい」です。

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八甲田山の周辺には「奥入瀬渓谷」や「十和田湖」など観光名所があり、通常の観光コースだとそれらをセットにしての観光となっているようですが、そこへは3年前に寄っているのでパスし、進路を東に変えて岩手県の太平洋側に出て、三陸海岸に沿って国道45号線を南下していきます。

その途中、豪雪地帯で有名な「酸ヶ湯温泉」があったので立ち寄ってみました。ここには千人風呂という混浴の日帰り温泉施設もあるそうですが、先を急ぐ旅でもあるので、五平餅を食べてすぐに立ち去りました。

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酸ヶ湯から45号線へ出るまでは気持ちのよい山道が続きます。

動画を撮りましたのであげておきます。もちろん安全運転です。
そうそう、あと走行音やエンジン音にかき消され、わずかに聞こえるミュージックが著作権違反だ!という権利者からチェックと指摘が厳しいので、残念ながら音声はすべて消しています。



震災と津波で大きなダメージを受け、新しく変わりつつある国道45号線は、以前、NHKドキュメント72時間で取り上げられていました。

ドキュメント72時間「東北 春を探して 国道45号線を行く」

そして、お昼は、2013年のNHK朝ドラ「あまちゃん」の舞台だった久慈へ寄り、道の駅でランチを食べました。

エビ、タコ、鮭、玉ねぎ、大葉、長ネギ、カボチャなど野菜と海鮮の天ぷらがてんこ盛りの開運丼には、おみくじと、トンボ玉が付いてきました。おみくじは微妙に小吉でした。

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今回、食べませんでしたが、海女丼を注文すると、海女の萌えキャラが描かれた手ぬぐいが付いてきます。「あまちゃん」人気以降、いろいろと工夫して頑張ってますね。

さらに三陸海岸を南下し、途中、道の駅たろうで休憩です。

ここの道の駅の裏側には、津波を食い止めることができなかった万里の長城とも呼ばれていたX字状の長大な2重防潮堤があります。

津波は10mの高さがある堤防を超えて、田老の町を飲み込みました。6階建てのたろう観光ホテルは3階部分まで浸水し、現在は震災遺構として保存されています。

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津波に勝てなかった高さ10mの堤防ですが、現在はそれをさらに上回る14mの巨大堤防が建設されているのを見て、ちょっと複雑な思いがします。

・本当に防潮堤ごときで、いつも想定を上回る巨大な津波や地震に耐えられるのだろうか?
・人口が減っていく中で、数100年に一度の巨大津波に備えてこのような巨大建造物を作るのは経済合理性があるのか?

などなど。

もちろん田老だけの問題ではなく、この三陸エリアを走っていると、あちこちで巨大な防潮堤が新たに作られ、津波に襲われた場所には何メートルも高い盛り土をし、その上に新しい住宅や商店が建ちはじめています。

今月9日に発生した豪雨で岡山県倉敷市の小田川の、2015年には鬼怒川の堤防が決壊し、全国で各地で自然災害が発生し犠牲者も出て、多くの家屋や財産が流されています。

つまり災害対策を至急に行う必要がある地域や場所は全国各地にいっぱいあり、限られた予算(=税金)を三陸に集中するのは本当に正しいことか?って疑問もあります。

いろいろと各地によっての事情があるのでしょうけど、こうした巨大な公共事業は、いったい誰のため?もしかしてダム建設や公共施設建設工事がめっきり減って沈滞気味だった建設族の政治家や国交省官僚のため?とも皮肉っぽく見えてきます。

そうしたことはさておき、その後も、ひたすら国道45号線を走り、釜石に入り、駅前のビジネスホテルに宿泊です。

本当は、翌日に観光で回る遠野市で宿泊先を探そうとしたのですが、観光地の遠野にはビジネスホテルがほとんどないことがわかり、いわゆる観光ホテルばかりで、シングル客はあまり歓迎されてなさそうな雰囲気があり、手前にある釜石市に泊まることにしました。

さすがラグビーの街、三陸鉄道釜石駅の中にラグビーをモチーフにしたモニュメント

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この日はすべて下道を走りましたが、ここでもオートクルーズが大活躍です。

最近主流になりつつある前車追従機能付きではないので、片側1車線の国道ではすぐ前のクルマに追いついたり、逆に引き離されたりして、スイッチのon-off、速度調整+−の操作が煩雑で面倒です。と、だんだん横着になっています。

次にクルマを買い換えることがあれば、自動運転とまでは言いませんので、せめてACC〈アダプティブ・クルーズ・コントロール〉が欲しいところです。もう遠出する機会はあまりないでしょうけど、、、

オートクルーズがあるとはいえ、さすがに二日間の長距離走破で、右足は相当にダメージを受けています。湿布薬を大量に持って行って正解です、、、

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夕食はやはりホテルのお仕着せ料理ではなく、ホテルの近所のお店を探し、最初は元祖釜石ラーメンという「新華園本店」へ向かいましたが、当日は貸し切りで入れませんでした。

次に震災後新たに作られた釜石市民ホールそばのイオンモールに震災で店が壊れ移転してきたこちらも釜石ラーメンを出す「大連」へ。

なんでもこの店の元の店主と奥様は震災で亡くなり、一緒に店で働いていた方が店を継いでいるとのことでした。

釜石ラーメンと餃子
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釜石ラーメンは奇をてらったものではなく、「極細の縮れ麺」と「琥珀色に透き通った醤油味の淡麗スープ」が特徴とのことですが、言ってみれば、ま、普通な感じ。あっさりとしていて、美味しく完食いたしました。

この日の走行距離 316km
かかった時間 9時間(休憩・観光含む)

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東北激走ツアー2018 その3へつづく



posted by makan at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行/ドライブ
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